日本語
2011-03-01T21:56:48+09:00
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外国人が話す日本語や日本人の日本語について
Excite Blog
偕楽 後楽
http://iwaoka2.exblog.jp/14344729/
2011-03-01T21:49:48+09:00
2011-03-01T21:49:49+09:00
2011-03-01T21:49:49+09:00
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未分類
水戸の偕楽園は梅の名所である。一八四二年(天保一三)藩主徳川斉昭が造園した日本三名園の一つである。
偕楽とは広辞苑によると、[孟子梁恵王上] 衆人と共に楽しむこと。
水道橋にある後楽園も水戸藩の上屋敷内の庭園である。
後楽とは [范仲淹、岳陽楼記「後天下之楽而楽」] 人々の楽しみにおくれて楽しむこと。
昔の人の教養は漢籍に通じていることであった。
水戸の藩主は漢籍から学んだことを実践して、庭の美しさを民と共に楽しむために「偕楽園」と名づけた。
「後楽園」は、上に立つ者は民が楽しんだ後に楽しむためにと名づけられた。
岡山市にある後楽園も藩主池田綱政の創設で、日本三名園の一つである。
今アフリカや中東諸国で、長年続いた民を苦しめている独裁政治に反対して、命がけのデモが起こっている。
江戸時代の水戸藩主の考え方はすばらしかった。]]>
陰陽道
http://iwaoka2.exblog.jp/13946535/
2011-01-07T00:53:00+09:00
2011-01-08T00:55:47+09:00
2011-01-08T00:55:47+09:00
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陰陽道は、安倍 清明で有名になった。しかし、よく分からない。
中国からきた思想・学問である。日本に定着して独自に発展した。
八世紀に律令制の完成とともに、天文観測 天変地異 暦の制作
御忌の調査 陰陽の占い全般 等を専門とした。
宮中の諸儀式・諸行事の日時の選定など多方面の事柄の決定に関わった。
「日(陽)月(陰)と木・火・土・金・水(森羅万象の象徴)」五行説によって構成される世界観・宇宙観を表わす学問。
干支エトは十干十二支の総称である。
十干は「甲キノエ 乙キノト 丙ヒノエ 丁ヒノト 戊ツチノエ 己ツチノト 庚カノエ 辛カノト 壬ミズノエ 癸ミズノト」
十二支は「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」
この十干と十二支の組合せで年回りが決まる。来年は壬辰ミズノエタツとなる。
「壬申の乱」や「戊辰戦争」のように称された。
甲子から始まって乙丑キノトウシと組合せ、癸亥ミズノトイで干支は一回りの還暦である。
十二支は方位や時間にも用いられている。子午線は北と南を表わしている。
鬼門は丑寅で東北を表わす。
暦の制作からいろいろな行事や冠婚葬祭の日取りが決められた。
吉凶を前もって予知し、占いや厄払いも行なった。
陽と陰で、食文化も確立した。
陰の身体を冷やす食材と調理法。
陽の身体を温める食材と調理法。
一度の食事で、この陽と陰のバランスを上手くとることが大切。
バランスは朱・青・黄・白・黒色の食材を取り入れる。
お節料理や懐石料理などがその例である。
このように陰陽道は、我々の生活の隅々まで入り込んで、生活の規範となっていた。
参考文献
日本古文書学講座 3 雄山閣出版
天文方と陰陽道 林 淳著 山川出版社
陰陽道とは何か 戸屋 学著 PHP新書
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「孤高」を読んで。大野先生の思い出
http://iwaoka2.exblog.jp/12365170/
2010-03-25T00:18:33+09:00
2010-03-25T00:18:32+09:00
2010-03-25T00:18:32+09:00
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当時の学習院大学の教師陣は、安倍能成院長のお人柄からか素晴らしい先生方が多かった。世間では教授一流・校舎二流・学生三流といわれていたとか。
学生時代の私は学問より楽しいことが多くあり、あまり勉強はしなかったので家族からは猫に小判と言われていた。一生で一番楽しい時期であった。
大野先生の授業はとても明快で、まだ分からないことははっきり分からないとおっしゃって我々に問題を投げかけてくださった。
他の学年は大野先生が怖いという学年もあったようである。われわれの学年は大野ファンが多かった。後に、クラス会などには先生もよくご出席くださった。
その頃は「大野ススメ」ではなく「ボヤキの大野」と教え子達は言っていた。
そんなボヤキをなさった先生に「先生はちょっと時代の先を行ってらっしゃいます。二・三十年後にはきっと認められます」と申し上げたことがある。
なぜそんなことを申し上げたかというと
昭和三十年代は、まだ大学進学率もあまり高くなかった。特に女子の進学率は全国的に低く、少ない女子が文学部に集中した。入学試験では女子学生の方が成績がよかったのである。
慶応大学の池田弥三郎が述べた「女子大学生亡国論(大学の文学部に女子学生が多くなり日本の学問の府に危機感を抱いた)」に対して、大野晋は反論した。
「女子学生も男子学生と同じように学問でよい成績をあげているし、将来母親になった時に子供によい影響を与えられる(筆者の記憶)」
このように大野先生はいつも時代より先の方を見ていらっしゃるのである。
広辞苑が出来て世の中の評価がとても高いのは大野先生の功績であった。
岩波書店には、いまだに「大野原稿」と称して先生の広辞苑の原稿が大切に保管されているとおっしゃったことがあった。
「日本語練習帳」出版直前、奥様のお話では「あんなことを書いて大丈夫かな?どうしよう。どうしよう」とおっしゃって、部屋の中を動物園の檻の中の熊のようにウロウロなさったとか。
大野先生はユーモアもとてもお好きである。
「き・けり・つ・ぬ・たり」は「煙たし」で、私には難しいと申し上げた。先生はー漱石はね教室で、生徒が手を着物の袖から出していないので、「失礼じゃないか!」と言ったら生徒は「手がないのです」と答えた。「僕だってない知恵を絞って出しているのだから君もない手を出し給え」と言ったーとおっしゃった。
先生の終の棲家は、漱石の眠る雑司が谷墓地の隣であった。
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短縮語
http://iwaoka2.exblog.jp/9248093/
2008-12-20T20:50:11+09:00
2008-12-20T20:51:07+09:00
2008-12-20T20:51:07+09:00
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日経新聞の「春秋」には、
「ヤスる」人数が多すぎるとき何人かヤスリで削るように外すこと。
「嫌いで外すわけではない」との補足がつく。
「セパる」切羽詰るの省略。
「ぺしゃむ」ぺしゃんこにへこむ から。
もう少し上の年齢層は
「アラサー」around thirty
「アラフォー」around forty
これに因んで竹中平蔵氏は「アラかん(還暦世代)」を流行らせたいとか。
各世代、夫々に短く・分かりやすい言葉を作って通じやすく連帯感を生み出しているのだろう。
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「いただく」
http://iwaoka2.exblog.jp/8985601/
2008-11-15T23:43:00+09:00
2008-12-17T12:04:22+09:00
2008-11-15T23:44:32+09:00
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「いただく」は「食べる」「飲む」「もらう」の謙譲語である。
「松茸をいただきました」は、他人から松茸をもらったのか、単に食べたのか区別がつかない。「松茸を食べました」か「○○さんから松茸をいただきました」の方が分かりやすい。
「ビールをいただいてから、寿司をいただいた」
「バナナをいただくと痩せる」
これらは、「ビールを飲んでから、寿司を食べた」「バナナを食べると痩せる」
の方が分かりやすい。
「お茶をどうぞいただいてください」や「お菓子をどうぞいただかれてください」
はおかしい。謙譲語は自分の行為に使うもので他人には使わない。
「お茶をどうぞ召し上がってください」「お菓子をどうぞ」がよい。
「食べる」「飲む」は、日常よく使われる言葉である。「いただく」ばかりになると意味がはっきりしなくなる。
補助動詞といわれる「~ていただく」も最近使われすぎの感がある。
「飲み会に行かせていただきました」
「返事を書かせていただきました」
「展覧会に行かせていただきました」
丁寧すぎる表現は長くなってよくないと思う。
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「フンベツ」と「ブンベツ」
http://iwaoka2.exblog.jp/8739354/
2008-10-10T23:56:00+09:00
2008-10-11T00:05:44+09:00
2008-10-10T23:57:27+09:00
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「フンベツ」は仏教用語からきた言葉で難しい。
心の働きが対象を思惟し計量すること。知識による理解。または誤った理解、認識としての凡夫の妄分別にもいう。(小学館スーパー・ニッポニカ)
考えること。思案をめぐらすこと。世間的な経験・識見などから出る考え・判断。(広辞苑)といわれている。
「分別のある大人」などと言われるが最近「分別のない大人」が増えて嘆かわしい。
無差別殺人・ストーカー殺人・放火等無分別な大人が多くなった。
「ブンベツ」は「ゴミの分別」のように、種類によって分けること。
文字は同じでも、清音と濁音で意味が大きく異なる。
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助詞「に」「へ」「で」「から」
http://iwaoka2.exblog.jp/8620094/
2008-09-15T23:59:12+09:00
2008-09-15T23:59:49+09:00
2008-09-15T23:59:49+09:00
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「今行く」 すぐに行動を開始する。
「今に行く」 何時行ってもよい。
「A君だけに話す」何人かいる中で、A君一人を選ぶ。
「A君にだけ話す」B君C君D君など他の人を除外する。A君に限定。
「駅に行く」 駅という場所が目的。
「駅へ行く」 駅の方向を指す。
「庭に花を植える」 花を植える場所をいう
「庭で花を植える」 花を植える作業をいう
「酒は米から造る」 材料を変化させて作る。もとの材料の形が残らない。
「おむすびはご飯で作る」 材料の形がそのままである。
我々は日常このような微妙な違いを理解して話をしている。]]>
「日葡辞書」
http://iwaoka2.exblog.jp/8471325/
2008-08-15T23:53:00+09:00
2008-08-16T00:04:02+09:00
2008-08-15T23:53:38+09:00
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その頃の日本は、文字がなかったので本もなかった。そこに六世紀半ばに仏教と共に漢字と漢字で書かれた書物が入ってきた。大変なカルチャーショックであったろう。漢字と漢語を懸命に学び、万葉仮名も作り出された。
平安時代初めには、平仮名や片仮名ができた。
現存する我が国最古の漢字辞書は、空海(弘法大師)によって編纂されたと言われる「篆隷万象名義テンレイバンショウメイギ」八三○年(天長七)以後成立がある。
その後、昌住によって編纂された漢和辞典が「新撰字鏡」(898年~901年頃成立)である。
平安末期には、編者未詳の「類聚名義抄」が作られた。
漢和辞典はいろいろ作られた。
その他の言語の辞書は意外にもポルトガル語の辞書が最初である。
日本に最初にやってきた宣教師はスペイン人のフランシスコザビエルである。彼は日本人を「今まで出会った異教徒の中で、もっとも優れた国民」「日本人は外見で人を判断する」等と日本人の観察はすばらしい。
その後やってきたイエズス会のキリスト教宣教師によって、「日葡辞書」が作成された。日葡辞書は、日本語に通じた数名のバテレン(神父)とイルマン(修道士)の協力で作られた。ポルトガル式のローマ字で日本語の見出しをつけ、ポルトガル語で解説した辞典である。総語数は約32000。1603年-1604年にかけて長崎で発行された。室町時代末期~安土・桃山時代の日本語の音韻がよく分かる史料でもある。
ちなみに奈良時代は万葉仮名で書かれた文章は、その漢字の発音を中国の発音と比較すれば分かる。そのことから古い日本語には母音が八つあったことが分かった。
「キフィミケフェメコソトノモヨロ」のi e o には、甲類と乙類の二種類の漢字が書き分けられていた。平安時代にはその区別がなくなった。
万葉仮名では「い・ゐ」「え・ゑ」の区別がきちんと書き分けられていた。いろは歌でも区別がある。
その頃の日本語のハ行音がF音であったことなども分かった。
日葡辞書の頃のハ行音もF音であった。
平安時代には仮名文字がつくられ、文章を書き易くなった。しかし、まだ濁点や半濁点などは出来ていなかった。そのためある単語が清音か濁音か区別がつかない。
日葡辞書はポルトガル式のローマ字で日本語が表記されているので当時の発音が正確に分かる。「カca キqi クcu ケqe コco」「サsa シxi ・・・・」「ハfa ヒfi ・・・」ヤ行やワ行は今とほとんど同じである。濁音や半濁音の表記もある。
当時の生活習慣や風俗、よく使われた語句等当時の日本がよく分かる。又、当時の標準語である京言葉と九州の方言や東言葉についても説明がある。
日本語の研究者にとって貴重な書である。
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タイトル一覧
http://iwaoka2.exblog.jp/1000432/
2008-08-15T23:52:00+09:00
2011-03-01T21:56:48+09:00
2005-09-18T22:11:52+09:00
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目 次
偕楽 後楽 [2011-03-01]
陰陽道 [2011-01-07]
「孤高」を読んで。大野晋先生の想い出 [2010-03-25]
短縮語 [2008-12-20]
「いただく」 [2008-11-15]
「フンベツ」と「ブンベツ」 [2008-10-10]
助詞「に」「へ」「で」「から」 [2008-09-15]
「日葡辞書」 [2008-08-15]
生と死 「胞衣エナ」 [2008-07-20]
「生」と「死」を表す言葉 [2008-06-15]
呼び名 [2008-05-15]
日本全国 ×世界全国 [2008-04-21]
梅と桜 [2008-03-15]
「この頃」 [2008-02-18]
日本語の本来の意味と派生 [2008-01-20]
料亭と割烹 [2007-12-15]
日本語の危機? [2007-11-11]
「山」と「岳」 [2007-10-20]
ら抜き言葉 [2007-09-09]
海ゆかば [2007-08-15]
日本語の単数と複数 [2007-07-07]
「不退転の決意」 [2007-06-10]
補助動詞 [2007-05-01]
「ある」と「ない」 [2007-04-08]
「惚ボける」と「惚ホれる」 [2007-03-03]
「おかしな日本語」 [2007-02-01]
「めでたい」 [2007-01-01]
モラル [2006-12-01]
「涼しい」 「寒い」 「冷たい」 [2006-11-01]
「おどす(威す・脅す)」と「おびやかす(脅かす)」 [2006-10-01]
石と岩はどう違うか [2006-09-01]
「一杯」と「いっぱい」 [2006-08-01]
「~頃」と「~位」 [2006-07-07]
「確かに」と「確か」 [2006-06-01]
言葉の遊び 漢字と感字 [2006-04-01]
ITと下駄箱 網棚 [2006-03-01]
春の訪れ [2006-02-04]
大晦日と朔日 [2006-01-01]
漢語-2 [2005-12-06]
「隣」と「横」 [2005-11-02]
「お見舞い」と「お悔やみ」 [2005-10-02]
長~い敬語と謙譲語 [2005-09-01]
違い [2005-07-30]
~してもいいですか? [2005-07-01]
「アパート」と「マンション」 [2005-05-30]
~させていただく [2005-05-01]
もの [2005-03-30]
関西弁 [2005-01-11]
意見と文句 [2004-11-30]
「甘い」と「甘ーい」 [2004-10-28]
色が浅黒い [2004-08-31]
故障中 [2004-07-31 ]
財布が落ちている [2004-06-06]
第二外国語 [2004-05-15]
桜・桜・桜 [2004-03-30]
粛々と [2004-02-22]
スペースがある [2003-12-12]
「生暖かい風」と「暖かい風」はどう違うか [2003-11-11]
様 サマ [2003-10-26]
留学生と言葉 [2003-09-15]
短縮言葉 [2003-08-10]
「まだ」と「もう」 [2003-07-10]
「貴女は安いです」 [2003-06-10]
禁煙席 [2003-05-10]
連濁と日本語-9 畳語と擬音語・擬態語 [2003-04-10]
連濁と日本語-8 日本語のテンス [2003-03-10]
連濁と日本語-7 日本語の文法 活用形 [2003-02-10]
連濁と日本語-6 動詞と名詞 [2003-01-10]
連濁と日本語-5 日本語と漢語 [2002-12-12]
連濁と日本語-4 日本語の数字 [2002-10-22]
連濁と日本語-3 日本語と外来語 [2002-09-17]
連濁と日本語-2 国語と日本語 [2002-07-27]
連濁と日本語 [2002-06-30]
日本に来た前 [2002-06-03]
ハツカとフツカ ヨウカとヨッカ [2002-04-15]
「日韓」か「韓日」か [2002-03-25]
「言った」「言わない」の議論 [2002-02-17]
漢語-1 [2002-01-20]
ある広告 国産の暖房用品 [2001-12-16]
パスチャライズ [2001-11-11]
「初めて」と「始めに」 [2001-10-14]
神と仏-1 [2001-08-15]
「方」 [2001-08-05]
「鍵かけてね」??? [2001-04-30]
名詞 [2001-02-08]
調味料も敬語も使いすぎに注意 [2000-08-28]
めんどくさい日本語 [2000-06-14]
置手紙 [2000-04-03]
曖昧と明晰 [2000-03-10]
不倫トン大統領 [2000-03-10]
証明写真 [2000-02-12]
「さん」と「様」 2題 [2000-01-12]
青と緑 [1999-12-12]
難しい言葉 [1999-11-12]
紛らわしい言葉 [2000-10-14]
高イヤーってなに? [1999-09-01]
日本製外国語には気をつけよう [1999-08-31]
ニックはニックネーム [1999-07-27]
「おかわり」が貰えなかった話 [1999-07-09]
「です」と「ます」 [1999-07-01]
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生と死 「胞衣エナ」
http://iwaoka2.exblog.jp/8336774/
2008-07-20T22:25:01+09:00
2008-07-20T22:25:26+09:00
2008-07-20T22:25:26+09:00
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未分類
人はあの世から、この世に生まれてくるのである。胞衣はあの世の名残であるといわれている。
人は一生を終えて、あの世に逝くのである。仏教で言う他(の世)界である。
この胞衣は自宅でお産をした頃は、大切に扱われていた。
今では、病院から退院する時に、乾いた「へその緒」が渡されるだけである。
「胞衣は胎児の生育にとって不可欠のものであり、古来、いろいろな民間習俗、信仰の対象とされてきた。
この胞衣は地中に埋めるのが一般的だといわれている。
昔は産小屋を作り、そこでお産をし、胞衣は壺に入れて、丁重に地中に埋めた。地中に埋めるのは、赤子が地中から生まれ出てきたから、地中に胞衣を返すという考えからである。エナと生児の成長の関係は、その延長上として死の観念でも表出する。人は死ぬと又土に返る。
その時、生まれた子供の健やかな成長や幸せを祈って、いろいろな物をいっしょに入れた。埋める場所は、人によく踏んでもらう所(土間の上がり框カマチや敷居の下等)と、踏まない所(産室の床下、便所や厩ウマヤのそば、墓等)の2通りがある。男女によって埋める場所やいっしょに埋める物が異なる場合もある。
胞衣は世界の諸民族を通じて、その扱い方しだいで生まれた子供の一生を左右すると信じられている」小学館スーパーニッポニカ より
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「生」と「死」を表す言葉
http://iwaoka2.exblog.jp/8135892/
2008-06-15T22:29:17+09:00
2008-06-15T22:29:36+09:00
2008-06-15T22:29:36+09:00
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未分類
日常我々は身内の死は「亡くなる」「死去」を使う。この他「逝く」「あの世に行く」「世を去る」「没する」「隠れる(高貴な人の死)」「冥土メイドへ旅立つ」「鬼籍に入る」「不帰の客となる」「他界」「臨終」「逝去」「永眠」「物故」「昇天・帰天(キリスト教)」「帰幽(神道)」等の表現がある。
「逝去」は他人の死の尊敬語で、身内の死には使わない。
仏教では「往生」(この世を去って他の世界に生れかわること。特に、極楽浄土に生れること)、「成仏」(死んで仏となること)が一般的である。
この他特殊な表現もある。
「入滅」釈迦の死、また広く高僧の死をいう。
「入定」聖者が死去すること。弘法大師。
「入寂」僧の死
「往生」は、死ぬこと。あきらめてじっとしていること。
どうにもしようがなくなること。「渋滞で往生した」
「天寿を全うする」「大往生」は、高齢まで生きた人の安らかな死。
「夭折」は、若くして死ぬこと。「若くして夭折した」はおかしい。
「早世」は、世を早く去ること。若死に・早死に。
「崩御」は、天皇・太皇太后・皇太后・皇后の死去。
「薨去コウキョ」皇族または三位以上の人の死去。
英語でも
一般的にはdieであるが、婉曲的にpass awayもよく用いられる。
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呼び名
http://iwaoka2.exblog.jp/7945754/
2008-05-15T23:53:00+09:00
2008-05-16T00:11:01+09:00
2008-05-15T23:54:10+09:00
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未分類
アメリカでは上司に対しても「ジョン」「トム」「マイク」等のニックネームで呼ぶことが多い。日本では「太郎さん」「翔太さん」等の個人の名前は避ける。
学校では「先生」や「校長先生」である。
アメリカの小中学校では、生徒は先生の苗字に「Mrs. Miss」や「Mr.」をつける。
紫式部や清少納言や和泉式部の本名は不詳である。
宮仕えの女房には、官名や国名などをつけて呼んだ。弁内侍ベンノナイシ・讃岐典侍サヌキノスケなど。
源氏物語にも頭中将(蔵人所の長官) 按察(諸国の行政を監察した官)の大納言
などの呼び名が見られる。
平安時代の女性は寝殿造りの家の中で、住んでいた場所の名前で呼ばれることも多い。「北の方」は公卿などの妻の敬称で、寝殿(主屋オモヤ)に対して北の対屋タイノヤに住んでいたからである。
源氏物語にでてくる「桐壺の更衣」は、その庭に桐の木が植えられていたので桐壺と呼ばれた局(淑景舎シゲイシヤの別称)で、更衣は後宮の女官の一で女御ニヨウゴの次の位。「弘徽殿の女御」が上の位である。
皇室や宮家では今でも、父親は「おもう様(主屋にいるから)」母親は「おたあ様(対屋にいるから)」と呼ばれるのはこの名残である。
このように日本では、住んでいる場所や役職がその人の呼び名になっていることが多かった。
今でも個人の名前は、子供時代か家族の中だけで、世の中では苗字が用いられる。
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日本全国 ×世界全国
http://iwaoka2.exblog.jp/7789226/
2008-04-21T20:47:30+09:00
2008-04-21T20:47:30+09:00
2008-04-21T20:47:30+09:00
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未分類
「日本全国」は、日本の国の隅から隅まで全てという意味である。
世界は多くの国から成り立っていて一つの国ではないので、世界全国とはいわない。
「全国」には世界中の全ての国々という意味もある。従って、世界をつけなくても「全国」だけでよい。
我々は、そんな理由を知っていなくても、正しく日本語を話す。しかし、外国人は一つずつ学習しなければ、正しいかどうか分からない。
外国語の表現を日本語にする時、辞書を調べてこれでよいと思える言葉を選ぶ。しかし、それがとんでもない表現になってしまうこともある。
イタリアのあるホテルの宣伝に、「当ホテルは三流で・・・・」というのがあった。勿論、三ツ星ホテルという積もりであった。しかし、日本では星の数を誇るのではなく、一流と数字の少ない方がよい意味を表す。
米大リーグで日本人選手が活躍する度に「偶然だぞ」のプラカードが掲げられた。これは敵方のファンの嫌がらせではなく、裏には「It’s gonna happen」と書かれていたそうである。この日本語訳が難しい。何かで調べた結果が偶然そうなったのであろう。
「偶然」とは、予期せぬ出来事がおこるさまという意味である。日本人選手の活躍を褒めるつもりが、からかう結果になってしまった。
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梅と桜
http://iwaoka2.exblog.jp/7523415/
2008-03-15T23:52:00+09:00
2008-03-16T00:28:27+09:00
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iwaoka2
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梅は中国原産の木で、奈良時代に日本に入ってきた。万葉集には「萩の花」に次いで多く詠まれている。一方桜は、日本原産の木で古今集以降多く詠まれている。
日本に漢字が入ってきて、万葉仮名が作られ万葉集(760年頃)が編纂された。古今集が編纂されたのが約150年後の905年である。その150年の間は、漢文全盛の時代で男性の日常生活は漢文が用いられていた。和歌は姿を消し、漢詩が作られた。
如何に漢文全盛の時代とはいえ、漢文は外国語であり自分の思いを綴るには不便であった。そんな頃、平仮名が作られた。しかし最初は女子供のものとされていた。
紀貫之が「男もすなる日記というものを女もしてみむとてすなり」と、仮名で日記を書いた。そして、漢文全盛の時代がようやく終わり、仮名文学の時代となった。
それでも男性の公的な生活や日記は漢文が用いられ、和歌は仮名が用いられた。
このような社会背景から、漢文明全盛の時代は梅の花がもてはやされた。その後、仮名が出来て大和言葉の時代になると桜に興味が注がれた。
梅の花は、「観梅」と漢語を使い、桜は「お花見」と和語を使う。
江戸時代の武士の世の中になると、「花」と言えば桜を指し、散り際の美しさといさぎの良さが日本人の好みにぴったりと合った。
梅と桜には、時代背景が如実に表れている。
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「この頃」
http://iwaoka2.exblog.jp/7298300/
2008-02-18T23:36:10+09:00
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iwaoka2
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「コノコロ」と「コノゴロ」はどう違うか。
【源氏物語で「もののあはれを知らぬ人にもあらず」といえば、男女の仲の気持のやりとりを知らない人でもないという意味だった。本居宣長が源氏物語を「もののあはれ」を書いた作品だと言ったとき、その「もののあはれ」とは、四季の移りゆきを眺めて感じる情趣であり、また、男女の恋の様相という意味であった。しかし、この頃……】 (大野晋著「日本語の世界」)
「この頃」を「コノコロ」と読むか「コノゴロ」と読むかによって、意味が違ってしまう。「コノコロ」と読めば本居宣長の頃であり、「コノゴロ」と読めば最近のことである。文章の場合はその続きを読めば理解できるが、話し言葉では直ちにその区別が必要となる。
「コロ」が清音か濁音かで意味が異なる。
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