日本語の文法の助動詞にはいろいろな意味がある。
「れる・られる」は、受身・可能・自発・尊敬の意味がある。その区別は前後の言葉によって分かる。 「私のケーキ、弟に食べられた」受身 「このケーキ、まだ食べられる」可能 「秋の気配が感じられる」自発 「先生がケーキを食べられた」尊敬 この中で自発は ①自ら進んで行うこと。 多くの動詞には自発の意味が含まれている。「歩く・働く・食べる・寝る・勉強する」等は、「れる・られる」をつけると自発以外の意味になる。 ②自然に起ること。 「思われる・感じられる・心配される」 尊敬 「食べる・行く・来る・居る」等は別の敬語「召し上がる・いらっしゃる」を使うことが多い。最近では、「行かれる」「来られる」「居られる」もよく使われる。 自発と尊敬は分かりやすい。問題は受身と可能の区別である。 「石を投げられる」「行き方を教えられる」 「経歴を調べられる」「ごみを捨てられる」 多くの受身形は「投げられた・教えられた・調べられた・捨てられた」と過去形や完了形で表される。しかし、可能形も「若い時はあの峰を越えられた」「英語は簡単に憶えられた」のように、過去形や完了形がある。 そこで「ら抜き言葉」が出てきた。 「ら抜き言葉」は可能形に使われ、受身形や尊敬には使われない。 これは「られる」の意味の違いを表すために生まれたと考えられる。 「帰れる・走れる・作れる」などの五段活用動詞は、もともと「ら」がつかない「れる」である。「られる」がつくのは「着られる・見られる・変えられる」などの上一段・下一段活用動詞である。「られる」は発音のし難さもあって、五段活用動詞の「れる」に習ったとも考えられる。 「食べられる」と「食べれる」はどちらが正しいか。 これは今ではどちらも間違いではない。かなり多くの日本人がら抜き言葉を話していて、きちんと通じる。言葉は変化するものであり、奈良時代の言葉は今では難解である。変化した言葉を何時正しい日本語と認めるのか。 ほとんどの日本人が使い、それが正しく通じれば立派な日本語となる。
by iwaoka2
| 2007-09-09 23:40
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外国人の話す愉快な日本語から、我々日本人がこれまで気がつかなかった日本語の特徴が分かることもあります。国語学界の謎といわれた「連濁の法則」も、ほぼ解明できました。
言葉は時代とともに、変化します。日本人の日本語も?が多くなりました。 カテゴリ
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