今日は立春だが、生憎立春寒波がやってきて、寒い。本当の「春の訪れ」が、待ち遠しい。 「訪れ」とは、「たずねてくること」「人や物事の動静」という意味である。しかし、「友人が我が家を訪れた」とは言わないし、「私が京都を訪れた」とは言わない。それは、「行く」「来る」を使うからである。 テレビやラジオで、「お花見に、○万人が上野公園を訪れた」「京都を訪れた人は・・・」と放送される。それを見て外国人は、「私は日光を訪れました」という。どこかおかしい。 それは、友人や私は特定の人物である。話し手が何処に居るかはっきりしている時は、「行く」と「来る」を使うからである。話し手が何処に居るかによって、「行く」と「来る」の使い方が決まる。その場所に居る時は「来る」を使い、その場所に居ない時は「行く」を使う。従って、「友人が我が家に来ました」「私は日光に行きました」となる。 テレビやラジオでは、「京都に行く」も「来る」も使えるが、話し手が何処に居るかはっきりしない。そこで「訪れた」を使うと、話し手の居る場所がはっきりしなくてもよい。また、「行く・来る」は主に動きを意味するが、「訪れ」は様子や有様も表す。
by iwaoka2
| 2006-02-04 23:38
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外国人の話す愉快な日本語から、我々日本人がこれまで気がつかなかった日本語の特徴が分かることもあります。国語学界の謎といわれた「連濁の法則」も、ほぼ解明できました。
言葉は時代とともに、変化します。日本人の日本語も?が多くなりました。 カテゴリ
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