パスチャライズ

 私がとっている共同購入の牛乳は大きくパスチャライズ牛乳と書かれている。しかし、それが低温殺菌牛乳を意味することは皆さん無関心。ましてやその方法が、フランスの細菌学者パスツール(Pasteur)の発見によることはどなたもご存知ない。
「Pasteurize」の「-ize」は「…にする」「…化する」の意を表わす動詞の語尾が、加わった英語である。「-ise」も用いる。「civilize, organize」のように使われる。名詞形はcivilization, organization」である。
 問題は何故理解出来ないような言葉を使うのか。低温殺菌牛乳と書けばよいのに、パスチャライズ牛乳と書くと高級な品質に思えるのであろうか。
Japanizeされた言葉には注意しよう。普通の品とよい品は、名前ではなく自分で判断することが大切である。
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# by iwaoka2 | 2001-11-11 23:39 | 言葉のエッセイ

「初めて」と「始めに」

 K君が寝ぼけマナコで起きてきた。もうお昼である。これでも、普段よりは少し早い夏休み中のお目覚めである。「じゃあ、食事にする?」と聞いたら、「はじめて、床屋に行きます」という。おしゃれなK君は、二ヶ月に三回位床屋に行っている。出掛ける前にいろいろやることがある中で、一番最初にやることを「はじめて」と言っているらしい。そこで、「初めて」はまだ経験していないことをする時に使うと説明した。「日本に来て、初めて納豆を食べた」「昨日、初めて六本木で遊んだ」のように経験が問題である。「始めに」は一番最初にやるという開始の意味である。「初」と「始」はどちらも同じように使われる。初の反対の語は最初と最後のように、「後」「終」である。始の反対の語は「終」「末」である。始発電車と終電車は学生がよく利用する。勿論新宿あたりで遊んでいて、ぎりぎり終電車に間に合えば無事ご帰還。不幸にして乗り遅れれば、コーヒショップなどで始発電車を待って帰ってくる。終電車で帰る学生が多いので、時間は彼らの方がよく知っている。床屋から帰ってきたK君は、最新流行のやまあらしのような髪型がよく似合う。
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# by iwaoka2 | 2001-10-14 23:39 | 言葉のエッセイ

神と仏-1

日本人の宗教は何か。仏教の人もいれば神道の家もある。キリスト教やその他いろいろな宗教がある。しかし、多くの日本人は今は宗教を信じていない。赤ちゃんが生まれたり、七五三には神社にお参りする。結婚式は神前結婚が多かったが、最近はキリスト教も多い。離婚は裁判所でお葬式はお寺にお願いすることが多い。生に関しては神社に、死に関しては寺院にお世話になるケースが多い。仏教は六世紀中頃日本に伝わったので、日本本来の宗教ではない。

 三省堂 大野晋著「一語の辞典 神」によると、日本古来の宗教は「神」を信じるという、原始的な宗教である。
日本の神の特性は、多数いるということと具体的な姿・形を持たないことである。人は神の姿を目にしたことはない。神は一カ所に定住するのでなく、移動するものであった。「神がかり」という言葉があるように、神は人や木・岩等によりつくのである。
 神にはテリトリーがあり、それぞれの場所や物や事柄を支配していた。山や川を通過するためには、神に捧げ物をして安全を乞い願った。これが「手向けタムケ」である。

 古代日本人が神をまつるとは、食べ物(山海の珍味)を供え、酒を差し出すことであった。そして音楽や舞を舞って、神を慰めた。国家の長の役目が、神をまつること(まつりごと=政治)であった。
 神に願うことは農業の豊作・子孫繁栄・日常生活の無事である。そのため、神にいろいろな品物を捧げ、神を褒め讃えた。その結果として神は人々の願いを叶えてくれた。

 神の子孫である天皇を頂点とした大和朝廷が神事を司った。それがまつりごとであった。朝廷は自分自身を清めるためにみそぎやはらえをした。罪はみそぎ(水に入って洗い流す)をすればよい。諸々の罪や過ちは幣ヌサを振るっておはらいをする。風によって、川から海へ、海から地底へとはらっていけば、それは失われる。


幣の図は広辞苑より

 この考えが日本人のまつりごとの基本であり、精神生活の大切な部分である。「まつる」は金品を権力者に贈る事によって、便益を与えられる。公金横領・賄賂等の悪事や失敗は隠して先送りして行けば、いずれ消失するにちがいないとする考え方の原型がここに見られる。

「東照宮」は徳川家康を「乃木神社」は乃木大将を「東郷神社」は東郷元帥を祀っている。
終戦記念日に靖国神社問題が取り沙汰されているが、日本人の考え方と外国の考え方の違いが表れている。みそぎやおはらいで罪が消えれば簡単である。
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# by iwaoka2 | 2001-08-15 23:39 | 言葉のエッセイ

「方」

カードで買い物をすると、店員に言われる。「カードの方、お返しします」レストランでは「メニューの方、お下げします」という。この「ほう」とはもともと、どういう意味か。「西の方に寺がある」「安い方がいい」「酒よりビールの方が好だ」二つ以上比べるものがある時に、使われる。「カードの方お返しします」の場合、返すものはカードだけであっても「方」を使う。「方」のもう一つの意味に、話題のものをぼかしていう言葉とある。「経理の方をやっています」「(自動車の)修理の方をやっています」これは、「経理をしています」「修理をしています」でもよいが、自分の事を遠慮して少しぼかしている表現である。カードやメニューの場合、ぼかす必要はない。「カードをお返しします」「メニューをお下げします」の方が分かりやすくてよいと思う。

 消火器の訪問販売で、「消防署の方から来ました」といって高い値段で消火器を売りつける商法があった。「消防署から来ました」といえば詐欺になるが、「消防署の方から来ました」といえば嘘ではない。消防署の近くから来ればよい。「方」には気をつけよう。
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# by iwaoka2 | 2001-08-05 23:40 | 言葉のエッセイ

「鍵かけてね」???

   帰ってきた学生に叫んだ「鍵かけてね」。学生はどうしたらよいか分からず、困っている。気がついた私は「ロックしてね」といったら分かってくれた。

 英語では「key と rock」は別物で、キーは鍵であるがロックは錠前である。だから「錠をかける」と言えば分かるが、「鍵をかける」ではわからない。鍵は外から、錠は内側からなら開け閉めできる。日本語は以心伝心で通じるので、鍵と錠の区別はさほど厳密ではない。

 他にもthunder は「雷鳴」のみを意味し, 「稲光」lightning とは別である。 thunderbolt は「雷鳴と稲光」を意味する。英語では放電現象と、とらえている。「あの雷はどこに落ちたかな?」は "Where did the lightning strike?"となる。
家の中で落ちるのは親父の雷である。「雷親父」は口やかましくがみがみいう父親で、いまでは少なくなった。「雷婆」という言葉も同じ意味である。
日本では「雷」は「神鳴」の意で、古くは神様の仕業と考えられていた。かみなりさま。
雷神は漫画でお馴染みのように、雲の上にいて虎の皮の褌フンドシをしめ太鼓を打ち、へそをとるという。
「雷落し」という言葉がある。これは天窓などから細い縄などによって、屋内に吊りさがって侵入する賊のことである。鍵ならぬ道具を使って、他人の家に侵入するのを「ピッキング」という。雷にも鍵にも十分ご注意を!
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# by iwaoka2 | 2001-04-30 23:40 | 言葉のエッセイ