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連濁と日本語-5 日本語と漢語

 「漢語Ⅰ」で、漢語が日本に入ってきたことについて述べた。
多くの漢語が日本語に取り入れられて、和語と漢語の区別が次第になくなっている。
日本人は「気」が漢語だなどとは気にもせずに、日本語を話している。
漢語と和語の違いは何だろう?
漢語は漢字一字にそれぞれ意味があり、発音も違う。
例えば、「かける」という言葉は漢字で書けば
①「掛ける・懸ける・架ける・賭ける」
②「駆ける・駈ける・翔る」
③「欠ける・闕ける」となる。
日本語では「 」で括った言葉の意味は同じである。
①はぴったりとくっついているという意味である。
 漢語では「掛」は高い所に∧型にひっかけること。「懸」は宙づりで、懸垂 懸念 懸命等の二字漢語がある。「架」は上にのせかける・かけわたすという意味で、架設・架空・架橋等がある。「賭」はかけをするで、賭博。
②は移動することを表す。
 「駆」は馬に鞭をあてて走らせるという意味で、「駈」は異体字。二字漢語は駆使 駆除 疾駆等がある。「翔」は羽を大きく広げて飛びまう意味で、二字漢語は飛翔である。
③は足らないことを意味する。
 「欠」は足りない・あくびの意味で、二字漢語は欠乏 欠伸 欠点 欠陥 欠席 欠損等がある。「闕」は中央部をくりぬいて道にした宮殿の門のことで、二字漢語は闕如。
 漢語ではそれぞれ意味の違う言葉も、日本語では区別がないのである。

 漢語は漢字一字の意味が明解で範囲が狭い。二字漢語になってもそれは同じで、意味の範囲は限られている。そのため、漢字は種類が非常に多い。日本ではそれ程多くの漢字を使うのは難しい。そこで漢語を日本語に取り入れる時に、意味を拡大解釈したり派生させたりした。中には本来の意味は使われなくなり、派生した意味が主となったものもある。
「新米」はその年に新しくとれた米のことである。
日本語ではその他に「新しく仲間入りした者」という意味が加わった。
「女郎」は、漢語では男のように才気のある女という意味である。
しかし、日本語では遊女のことである。遊女には才気のある女が多かったからであろうか。
「心中」になると、漢語シンチュウは心のうちという意味である。
日本語ではシンジュウとなり、二人以上の人がいっしょに死ぬという意味になる。「心中お察しいたします」「一家心中」のように、連濁で意味の違いも表している。
「新米の社員」や「吉原の女郎と心中した」などの漢語の意味は、中国では通じない和製の漢語である。
「暴露」は、漢語では「風雨にさらす」であるが、日本語では「隠していたことが現れる」ことである。
 漢語で「無断」は決断心がないことであるが、日本語では「断りなく」という意になる。
「悪運」は本来悪い運命であるが、日本語では悪いことをしても、かえって栄える強運のことと、意味が逆転する。
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by iwaoka2 | 2002-12-12 23:33 | 言葉のエッセイ