カテゴリ:言葉のエッセイ( 61 )

連濁と日本語-4 日本語の数字

 我々が日常使っている数字には「一hi 二hu 三mi」の和数字と「一ichi 二ni 三san」の漢数字がある。
和語はあまり数字に強くない。ゼロや無限大の観念がないといわれている。数え年では、人は生まれるとすぐ1才で、0才がなかった。「百momo 千chi 万yorozu」という言葉はあるが、意味は「多くの」ということであった。「八百万yaoyorozuの神」は神様の数を数えたわけではない。「億」になるともう目がまわるくらい大きな数字で和語にはない。
和数字は十より大きい数字は複雑である。十一はトウアマリヒトツとなる。そのため数の数え方は、「一つ 二つ・・・ココノツ トウ ジュウイチ」などと和漢混淆konkouとなる。

 「助数詞」という聞き慣れない言葉がある。これは「一本 二足 三匹 四枚 五組 六台」の「~本 ~台」ように、数字の後ろに付けて数えるものを表す言葉である。助数詞にも和語と漢語がある。「ツイタチ フツカ ミッカ」等日常生活でよく使われる基本的な数詞は和数詞が使われる。それもごく小さな数字が多く、人間を数えるのも「ヒトリ フタリ」の次は「サンニン (ヨニン) ゴニン ロクニン」と漢数字と漢語の助数詞になってしまう。「四」だけは漢数字の「し」と「死」が同じ音になるので、避けて和数字の「ヨ(ヨン)」が使われる。
ものを数える時「三階に上がる」「三軒目」「靴が三足」「駆付け三杯」「雀が三羽」「三遍ben回って」「何千何百」「百万本のバラ」と数える。
この時、カイ→ガイ ケン→ゲン ワ→バ ヒャク→ビャク セン→ゼン ホン→ボン のように、カ行・サ行・ハ行の清音がガ・ザ・バ行音に変化する。「三・千・万・何nan」が前にくると、後ろの言葉が濁音に変わるものがある。これらに共通することは、数字の終わりに「~ん」がくることである。和数字は「~ん」で終わる数字がないので、後ろの言葉は連濁をおこさない。
漢語には「月gatu 畳 膳 台 倍」等、頭が濁音の助数詞も多い。従って、「~ん」で終わる数詞が全て連濁をおこすわけではない。「三回カイ」「何件ケン」「三銭」のように、連濁をおこさない言葉もある。それは何故か。
三階gaiと三回kai 何軒genと何件ken 三千zenと三銭sen のような、よく使われる同音異義語の区別のためである。タ行音の助数詞(体 着 兆 点 等 トン)は連濁をおこさない。

 ハ行音は特殊な事情がある。「一ピキ 二ヒキ 三ビキ」のように、半濁音(パ・ピ・プ・ペ・ポ)が入る。漢数字「一・六・八・十・百」がハ行音の助数詞と結びつく時に促音便をおこして、後ろの助数詞が半濁音となる。一杯イチハイ→イッパイ  六分ロクフン→ロップン  八片ハチヘン→ハッペン  十本ジュウホン→ジッポン  百歩ヒャクホ→ヒャッポ。
 日常よく使われる言葉が発音のしやすさから、音便をおこしたと考える。「百・千・万」は数字であるとともに、助数詞の役目もする。百が三つで「三百byaku」となる。
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by iwaoka2 | 2002-10-22 23:33 | 言葉のエッセイ

連濁と日本語-3 日本語と外来語

今日本で話されている日本語は、古くから話されていた和語と飛鳥時代に仏教と共に入ってきた漢語とその後入ってきたいろいろな国の言葉が混じり合ったものである。
国語辞典の半分は漢語であるという。その他、多少の欧米やその他の国の言葉が日本語となって使われている。言葉は宗教や物や学問や考え方と共に、外国から入ってくる。
外国語が日本に入ってくる時は、主に名詞として入ってくる。名詞は日本語の中に取り込みやすい。「相談する」「勉強する」「クリックする」「キャンセルする」等と動詞にする。欧米の言葉は名詞と動詞が同じ言葉が多い。「Click」の名詞は「カチッという音」であり、動詞は「カチッと音をたてる」という意味である。
カルタやカッパ(ポルトガル語)キセル(カンボジア語)等は外国から入ってきた言葉である。それが我々の日常生活でよく使われ、歌留多・合羽・煙管と漢字が使われるようになった。これらの言葉は日本語となった外国の言葉である。
「すばる(星)」「きれっと(山がV字形に深く切れ込んだ谷)」等は外来語のように感じられるが、和語である。
 
 我々は和語か外来語かなど、気にせず日本語を話している。しかし、無意識の内にその区別をしている。それは、連濁という現象に表れている。原則として、連濁は日本語におこり、外来語にはおこらない。
日本語と漢語の区別は、丁寧に言う時に使う「お」と「御」で使い分けられている。「お母さん」「お見合い」「お出掛け」のように和語には「お」を使い、「ご両親」「ご結婚」「ご不幸」のように漢語には「ご」を使い分ける。
漢語は漢字の音読みの言葉といわれている。しかし、「お元気」「お電話」「お勉強」等、音読みの言葉に「お」が使われている。これは和製漢語であったり、日本語となった漢語を意味する。我々は無意識の内に、日本語と漢語を区別しているのである。

外来語は連濁をおこさないが、日本語となった言葉は連濁をおこす。「いろはがるた・雨がっぱ・悪知恵ヂエ・株式会社ガイシャ」等がその例である。
連濁とは「旅の支度」の場合(「旅」に「支度」が連なる時)、シタクがジタクと濁音に変化することをいう。
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by iwaoka2 | 2002-09-17 23:34 | 言葉のエッセイ

連濁と日本語-2 国語と日本語

 学校の時間割では算数や理科に並んで国語の時間がある。外国語の授業は英語・フランス語・ドイツ語である。日本語という言葉は授業には出てこない。
しかし、留学生の大学の時間割は日本語・日本語と日本語が並んでいる。

 国語と日本語の違いは何か。
人は十二才位迄に身につけた言葉が、母語であるといわれている。国語はその母語が日本語である人の言葉である。日本語は、英語・中国語・スペイン語等世界の言語の中の一つの言葉である。日本語を内側から見るのが国語。外から見るのが日本語である。国語と日本語とでは教える文法も異なる。
国語は日本語がペラペラの人の為の勉強であるから、名詞と動詞の違いなど改めて教える必要はなかった。助詞や助動詞を教えなくても、きちんと使い分けられる。
「れ れ れる れる れれ れよ」等と文法の活用表を丸暗記させられて、「憶えられた」の「憶えられ」は何形か文法に分解せよ等と試験に出た。文法など分からなくても日本語をしゃべるのには困らないので、生徒は国語が嫌いになった。
文章の書き方や話し方を教えながら、よりよい日本語を教える方が役に立つと思う。

 外国語としての日本語を教え初めて、日本語教師は大変な苦労をした。文部省の国文法では教えられないのである。日本人にとって当たり前のことが、外国人にとっては難しい。連濁もその一つである。1577年に来日したポルトガル人宣教師ロドリーゲスが、「日本文典」の中で連濁について述べている。これが日本で最初にとりあげられた例である。しかし、まだ連濁や畳語という言葉もなく、日本人にとっては興味のないことであった。明治以降、少しずつ連濁に目を向ける人も出てきた。しかし、何故連濁がおこるかは、長い間国語学界の謎であった。部分的にはいろいろな説が出てきたが、全面的な解明がなかった。これが、解明できた。その一部が岩波書店の雑誌「文学」7・8月号に掲載されたので、興味のある方はご覧いただきたい。
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by iwaoka2 | 2002-07-27 23:34 | 言葉のエッセイ

連濁と日本語

 我々日本人が日本語を話す時、気にもとめないことが外国人にとって難しいこともいろいろある。その一つが連濁という現象である。「連濁」という言葉すら、知っている日本人は少ない。

 子供の時、親に「いくつあるか数えてごらん」とよく言われた。そこで、ひとちゅ ふたちゅ みっちゅ から始まっていろいろな物を数えた。
年は一才 二才、折り紙は一枚 二枚、鉛筆は、いっぽん にほん さんぼん と何の不思議もなく口から言葉が出てくる。
数えるものによって、「つ」「才」「枚」「本」と言葉が違うのも外国人にとっては難しい。
特にハ行音は「三杯bai 十杯pai」「三匹biki」「千遍ben」「何分pun」などと変化が複雑である。「三」と「匹hiki」が結びついて「三biki」となる。杯haiがbai pai、遍henがben pen、分hunがpun等と変化する。
このように言葉と言葉が結びつく時に、清音のか・さ・た・は行音が、濁音のが・ざ・だ・ば行音に変化することを「連濁」という。
「一本pon」「六匹piki」「十歩po」などのぱ行音は半濁音という。
半濁音はハ行音におこる。
靴は「三足zoku」であるが、「三食syoku昼寝付き」は三ジョクとはいわない。
「オフィスは三階gaiにあります」「北海道に三回kaiゆきました」同じ「三」でも連濁をおこす場合とおこさない場合がある。これは何故か。長い間国語学界の謎であった。
これから暫くの間、この連濁について連載したい。
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by iwaoka2 | 2002-06-30 23:35 | 言葉のエッセイ

日本に来た前

英語は過去・現在・未来をきちんと表す言語である。過去の事は必ず過去形で表し、現在形と過去形を一緒に使うことはない。だから、「言った 言わない」ではなく「言った 言わなかった」とテンスを揃えるのである。

 留学生が「日本に来た前は、それを知りませんでした」と言った。日本語では、過去の事であっても「来る前」と過去形は使わない。未来のことであっても「テレビはごはんを食べた後で、見なさい」となる。
「前」は必ず「寝る前」「行く前」「切る前」「出る前」と、現在形で使う。
「後アト」は必ず「寝た後」「行った後」「切った後」「出た後」と、過去形(完了形)で使う。
日本語は、その事態が完了したかどうかに視点がある。英語はその事態が何時のことかに視点がある。
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by iwaoka2 | 2002-06-03 23:35 | 言葉のエッセイ

ハツカとフツカ ヨウカとヨッカ

 カレンダーの何日というのは、「ついたち」「ふつか」「みっか」「よっか」「いつか」「むいか」「なのか」「ようか」「ここのか」「とうか」である。
「ひとつ ふたつ みっつ」に「日」を表す「か」がついた。
しかし、あまり正確に「ふたつ」+「か」とはなっていない。「た」や「つ」が脱落して「ふつか」「みっか」となっている。
「二十日」と「二日」は一対となって、「はつか」「ふつか」となったのであろうか?
「八日」と「四日」も「ようか」と「よっか」で発音が似ている。
この区別は外国人には難しい。

 また「ついたち」はどうして、「ひつか」や「ひとか」にならなかったのか。アジアはそれぞれのカレンダーによるが、一年の始まりであるお正月が一番大切である。欧米ではクリスマスの方が大切である。
日本でも始まりの日はとても大切だと考えられてきた。「ついたち」は月のはじめの特別の日で、「月立ち」ツキタチ→ツイタチとなったそうである。「風立ちぬ」や「波風が立つ」のように「立つ」には、表れるという意味がある。

 みずほ銀行の合併も、経済上の新年度に当たる四月一日にしたのがよくなかった。
しかも、月曜日である。金融機関は混雑する日はよく分かっているはず。
形式にこだわって、実力を忘れたのか?それとも、合併による余剰人員のリストラの方が心配だったのか?
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by iwaoka2 | 2002-04-15 23:36 | 言葉のエッセイ

「日韓」か「韓日」か 

 ワールドサッカーの開催であれこれもめることも多かった。なんとか、話し合いで解決した。
「日韓」か「韓日」かでも、もめた。英語ではアルファベット順ではなく、Korea Japanで決着した。
日本語の特徴は後ろにくる方が大切なものが多い。「行きます」「行きません」のように、最後に大切な意味がある。英語は頭に大切な言葉がくるので、「Yes,・・・」「No, I don't go」となる。

国の名前だけは日米・日英・日中等と日本が前につく。これも、相手を大切に思う心遣いからか?「黒白をつける」でも「白黒をつける」でも同等のものはどちらが前でもよい。

最近会社の合併が多い。銀行などは何度も合併が繰り返された。対等合併などとうたっているが、名前を見ればどちらがメインか分かる。三井住友銀行は英語ではSumitomo Mitui 銀行と前後が逆になる。東京三菱銀行は国内では三菱銀行の支店数は圧倒的に多い。しかし、外国での知名度は東京銀行である。従って、英語でもTokyo Mitubishi銀行と国内と同じ順である。
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by iwaoka2 | 2002-03-25 23:36 | 言葉のエッセイ

「言った」「言わない」の議論 

 外務大臣と外務官僚を巻き込んだ政治家の泥まみれの争いで、「言った」「言わない」の議論が繰り広げられた。日本人は「言った」の「言わない」のと騒いでも、その言い方に疑問をもつ人はいない。
英語圏の人なら、どうして「言わなかった」とテンスを両方とも過去形にしないのかと不思議に思う。

 日本語にはテンスがないとよくいわれる。日本語には過去形はある。その過去形が問題である。
「言った」の「た」は過去形ではあるが、完了も表す。
「勉強をした」「家に帰った」「ご飯を食べた」のように、完了の意味がある。
完了形は、はっきり表に現れたことを指す。これに対して「言わない」は現在形ではあるが、未完了や未確認ををあらわす。今は言っていない(事にする)が、今後はわからない。ちょっと後ろめたさを含んだ玉虫色の表現である。我々は事実を分かった上で、今は、はっきりできない事として「言わない」といっているのである。まだ目の前に現れた事実ではないから、未確認だと言っているのである。
「言わなかった」は完了形で、事実がはっきりしておしまい。
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by iwaoka2 | 2002-02-17 23:36 | 言葉のエッセイ

漢語-1

 昔昔、日本には文字がなかった。日本は中国の圧倒的に進んだ文化に接して、それを手本にして多くの文化を取り入れた。特許などない時代のお話である。漢字を取り入れ、それから万葉仮名、平仮名、片仮名が生まれた。多くの漢語も大和言葉にとりいれ、今では和語か漢語か分からない言葉も多い。「気」が漢語だとは気付かない人も多い。いや、気にしない。
 奈良時代の終わりから平安時代の初めにかけて、公には漢語一辺倒の時代であった。最初は漢文をそのまま使っていたが、徐々に和風の漢文になっていった。漢文には助詞や助動詞がないので、漢語にそれをつけたのである。
余談であるが、以前ハワイなどに移住した日本人が「Meがのー」と話したそうである。それで、日系人のことを「ミガノー」といったとか。
 そんな歴史の後、今ではビジネスや公的な文章の名詞は漢語が多く和語はあまり使われない。漢語が便利な点は、一見して意味をつかむことができる。長い歴史もあって、和語より知的に感じられる。欠点は政治や法律用語が難解なことである。また能率優先で情緒に欠ける。お見舞いなどの手紙に漢語を多く使うと心がこもらない。学術書や報告書は漢語で書いた方が、中味にかかわらず信用出来そうにみえる。
情緒的なことは和語で、知的なことは漢語でと使い分けられているようである。しかし、法律や役所の文章はもっと「言文一致」にしてほしい。大切なことを正しく理解できなければ困る。
  最近はビジネスやコマーシャルに多くの英語が使われている。それが日本語として使われだすと, またまた正しい意味がわからなくなる。
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by iwaoka2 | 2002-01-20 23:37 | 言葉のエッセイ

ある広告 国産の暖房用品

○オーガニック毛布 オーガニックコットン100%の暖かさ。オーガニックにつつみ込む。
○Hot Carpet 電磁波レスを目指した・・・・・ 
○遠赤外線暖房器スリム&スタイリッシュ
 その温もりこそ、アーバンサイズ・ヒーティング。
 Move & Compact のコンセプトがこの冬の暖房シーンを変える。
 上からW暖房。(ご丁寧にWの上にはダブルとルビがふってある)
 W-Line Cross 方式がヘルシーな温もりを伝えます。
 群を抜く視認性(これは操作スイッチの説明 視認とは目で確認すること)。
Urban Hot  Move & Compact  Safety Healthy  Amenity  One Touch  Easy Operation 等の横文字が氾濫している。
以上はある一枚の暖房器具の広告から抜き出した言葉である。
これは日本人にとっても外国人にとっても分かりにくい広告である。広告主は何を考えてこれを作ったのか・・・
いまだ謎である。
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by iwaoka2 | 2001-12-16 23:37 | 言葉のエッセイ