カテゴリ:言葉のエッセイ( 61 )

留学生と言葉

日本に来る交換留学生は、アメリカの大学から来る学生が多い。最近は、アジア系アメリカ人が多い。彼らの多くは、生まれはアジアであるが、教育はアメリカで受けているケースが多い。英語はネイティブスピカーであるが、生まれた国の言葉をペラペラ話せる学生は少ない。
香港がイギリスから中国に返還される頃は、多くの香港人がアメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド等いろいろな国に出ていった。彼らは中国語と英語のバイリンガルが多い。
ベトナム戦争に参加した韓国は、移民が特別に認められて、移住した人も多い。その子供達が今大学生となって、日本に来ている。このような世界の歴史が、そのまま我が家にも伝わってくるのが面白い。
アジア系アメリカ人の多くは一世である。両親もアメリカに渡って、仕事や言葉では大変なご苦労があったらしい。何世代もずーっと英語圏に住んでいた家族と、新しくアメリカに住み着いたアジア系の家族とでは、話す英語にあまり差はない。しかし、似た言葉の意味の違いの説明やことわざや言葉の成り立ちなどの説明になると、ちょっと難しいこともある。
また、英語圏以外の国の留学生にとっては、英語が第一外国語・日本語は第二外国語である。彼らは経済等他の授業は英語で受け、その上に日本語の勉強である。英語圏の学生に比べて、より多くのエネルギーを必要とする。
「人の死」・「臓器移植」・「病気」・「宗教観」等の話になると日本語では難しいので、英語で話すことになる。それでも、単語が難しい。彼らにとっても、英語は外国語である。英語を話しているうちに、いつの間にかドイツ語やスペイン語になってしまうこともある。
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by iwaoka2 | 2003-09-15 23:30 | 言葉のエッセイ

短縮言葉

 言葉は常に変化して行く。老人が使う言葉と若者が使う言葉にも違いがある。日本語はすぐに短くする。「めちゃくちゃ」は「めっちゃ」になる。
外来語もエアコン・パソコン・マザコン・リモコン・ゼネコン・ロボコン等、元の言葉を忘れてしまいそうである。これはコンディショナー・コンピュータ・コンプレックス・コントロール・コントラクター・コンテストの頭のコンが残って、後ろが省略されたものである。「~コン」はそれぞれ異なるのである。
「ゼネ‐スト」(ゼネラル‐ストライキ)「ベア」(ベースアップ)等は最近聞かれない言葉となってしまった。
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by iwaoka2 | 2003-08-10 23:30 | 言葉のエッセイ

「まだ」と「もう」

 「まだ、八時です」と「もう、八時です」。日本人ならこの違いが説明できなくても、分かっている。「まだ、早い」「もう遅い」も同じである。話す人が予想したり予定した時間を基準にして、早い時に「まだ」を使い、遅い時に「もう」を使う。
しかし、「まだ、来ない」「まだ、来る」「もう、来ない」「もう、来た」「もう、来るでしょう」となると、ややこしい。
「まだ、~ない」は動作が未完了であることを表す。
「まだ、来る」は既に来ている人(物)もいるが、これから来る人(物)もいる。
「もう、来ない」は、これ以上は来ない。「もう、知らないっ!」も同じ。
「もう、来た」は動作が完了したことを表す。「もう、お腹がいっぱい」と同じで、「すでに」という意味である。
「もう、来るでしょう」は「間もなく」という意味である。
ふだん何気なく使っている「もう」には、いろいろな意味がある。

 留学生の朝は忙しい。遅くなってもシャワーは入念に浴びて、ドライヤーで髪をしっかり整えて、それから朝食である。「もう、八時です」「もう、八時十分です」と、連続「もう」「もう」と牛の鳴き声である。
この「もう」には、「もう一杯、いかがですか」「もう一度、行きたい」のような使い方もある。これは、「更に」という意味である。
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by iwaoka2 | 2003-07-10 23:30 | 言葉のエッセイ

「貴女は安いです」 

 メキシコからきたカルロス君、身長は190センチ余。いつも「鴨居に気を付けて」と注意する。「カルロスは背が高いです」といつもいっていた。ついでに「私は低いです」と教えた。
日本に来て、物価の高さにびっくり。すぐに値段が「高いです」を憶えた。反対の言葉は「安いです」を教えると、「メキシコは安いです」を連発する。多くの日本語が一度に頭に入って、ごちゃごちゃになる。
時々「ただいま」といって出掛けたり、「おかえり」といって帰ってくる。「僕は背が高いです」「登代子さんは安いです」といってのける。
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by iwaoka2 | 2003-06-10 23:31 | 言葉のエッセイ

禁煙席

 最近は「禁煙」がうるさく取り沙汰されるようになったのは嬉しい。電車や駅が全面的に禁煙になってきた。しかし、レストランや貸し切りバスや船などは、客に遠慮して禁煙がいい加減になっている。レストランなど混み合ってきた時、一部屋に3つ~4つのテーブルがあると客の要望に応えて、テーブル毎に禁煙席・喫煙席の札を置くだけである。
またクルージングの船で、船首の展望室などはテーブルに一応禁煙席・喫煙席の表示はある。換気のよくない部屋はタバコの煙でいっぱいとなる。文字通り煙禁止の席にしてほしい。しかし、現実は煙を出すことは禁止であって、煙の往来は自由である。早く無煙席を作ってほしい。
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by iwaoka2 | 2003-05-10 23:31 | 言葉のエッセイ

連濁と日本語-9 畳語と擬音語・擬態語

 畳語や擬音語・擬態語は同じ言葉や音を二つ重ねたものである。今までその定義が曖昧で区別をするのが難しかった。しかし、連濁で、その区別がされていることが分かった。
擬音語は自然の音をまねて作った語であり、擬態語は物事の状態や様子をいかにもそれらしい音で表した語である。擬音語「トントン・チリンチリン」や擬態語「ソワソワ・ヒラヒラ」等は、単に音や感覚印象を表す語である。それに対して、畳語は特別な意味を表す言葉である。
畳語は言葉を二つ重ねることによって、次のような意味を表す。
イ、複数のものを表す
 時どき 人びと 日び 国ぐに 島じま 隅ずみ 端ばし 花ばな
ロ、状態や様子を表すもの
一つの言葉では単に様子を述べているだけである。しかし、同じ言葉を二つ重ねて連濁をおこすことによって、そういう状態であるという意味を表す。
代るがわる 怖ごわ 離れ離れ 晴ればれ 広びろ 深ぶか 細ぼそ
ハ、強調 
同じ言葉を重ね合わせてその意味を強調する。
返すがえす 重ねがさね 黒ぐろ 粉ごな 懲りごり 早ばや 惚れぼれ
 
畳語は必ず連濁をおこし、擬音語・擬態語は連濁をおこさない。
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by iwaoka2 | 2003-04-10 23:31 | 言葉のエッセイ

連濁と日本語-8 日本語のテンス 

 日本語にはテンスがないとよくいわれる。未来形がないのである。だから英語を訳す時に困る。「行くであろう」などと、苦しい訳をしていた。未来は推量するか願望しかない。「明日行きます」と現在形が未来を兼ねる。
それに対して過去形はある。この過去形が過去を表すだけでなく、完了も表す。
「宿題をした」「雨が止んだ」「ご飯を食べた」等は完了の意味が強い。
古い日本語には「き けり つ ぬ たり」等の助動詞が使い分けられていた。「き けり」は過去を表し、「つ ぬ たり」は完了や存続を表した。
これが現代語では「た」のみとなった。従って「見た 来た 行った」は過去だけでなく、完了や存続も表す。
このように、日本語は言葉を過去・現在・未来というとらえ方よりは、完了したか未完了かというとらえ方の方が強い。現在と過去は現実の事柄である。未来は分からないし、未確認である。複合語においても特殊な接続をして、完了に関する意味を表す言葉がある。
それは前回述べた、従来連体形接続といわれた言葉である。
動詞や形容詞は名詞や他の動詞などと結びつく場合、連用形の形で結びつく。
「書き-言葉 嬉し-涙 聞き-飽きる 当り-年」等がその例である。
「行く年 来る年」のような従来,連体形接続といわれた特殊な接続がある。数は少ないが何故あるのだろうか。これは連用形接続の言葉と意味が異なる。「言った」「言わない」の議論の項でも触れたが、終止形の形で未完了や未確認を表す。「行く年 来る年」の場合、今年はまだ行ってしまってないし、来年はまだ来ていない。微妙なテンスの現れである。
連用形接続は多く使われる形で、助動詞によって現在か過去かが決まる。そして、連濁をおこす言葉と連濁をおこさない言葉がある。「行く年 来る年」のような特殊接続の言葉は、連濁をおこさない。
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by iwaoka2 | 2003-03-10 23:32 | 言葉のエッセイ

連濁と日本語-7 日本語の文法 活用形

 日本語には動詞・形容詞・助動詞のような活用のある用言と名詞・助詞・副詞等のような活用のない体言がある。活用は未然・連用・終止・連体・仮定 (文語では已然)・命令の六種の形に分けられている。

 未然形は外国人には「ナイ形」と教える。「勉強し-ない」「働か-ない」「分から-ない」「笑わ-ない」「払わ-ない」等否定形に使う。この場合大切なことは、ワ行の活用形は未然形にのみWが現れるということである。「歌い-ます」「歌う-時」「歌え-ば」「歌え」等の活用形にはWは現れない。ゐwiとゑweは、平安時代中頃までの日本語の発音にはあった。その後はなくなって、「わwa」と「をwo」のWは残った。wuはもっと古くになくなったらしい。

 連用形は用言に連なるときの形。連体形は体言に連なるときの形と学校の国語の時間に習った。しかし、連濁をみていく上で大きな間違いに気が付いた。それは、連用形は用言のみならず体言にも連なる大切な形であるということである。
「焼き-芋」「泣き-面」「賭け-事」「働き-蜂」をみると、「焼き~働き」は動詞の連用形である。外国人には「焼き-ます」「泣き-ます」「賭け-ます」「働き-ます」のように、「マス形」と教える。「芋-面-事-蜂」は名詞である。
「食べ-飽きる」「泣き-わめく」「照れ-臭い」「疑い-深い」は動詞の連用形が動詞や形容詞に連なったものである。これで分かるように連用形は、用言だけでなく体言である名詞にも連なる形である。連用形という名前がよくない。連用形は接語形とでもした方がよい。
では、連体形はどうであろうか。「行く年」「飛ぶ鳥」「黒い霧」「好い鴨」「青い鳥」「やる気」「引く手」等、特殊な言葉が多い。これも名詞に連なっているが、連体形とする必要があるだろうか?形は終止形と同じである。古文では終止形と連体形は違った。しかし、現代文は同じである。私はこれを終止形としてよいと考える。
何故連用形で接続しないのかは理由がある。それは連用形接続と意味の違いがある。これについては、次回で説明したい。
終止形は辞書を引くのに便利な形であり、連用形は一番よく使われる大切な形である。文中で一番よく現れる形は連用形である。連用形でひく辞書があれば、外国人には便利であろう。
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by iwaoka2 | 2003-02-10 23:32 | 言葉のエッセイ

連濁と日本語-6 動詞と名詞

 我々は日常、動詞と名詞の区別を意識していない。しかし、実際には無意識のうちに動詞と名詞の区別をしている。それは丁寧の助動詞「です」と「ます」の使い分けを見れば明らかである。
「みかん-です」「みかんを食べ-ます」「今日は日曜日-です」「今日は休み-ます」
このように名詞の後ろにはデス、動詞(連用形)の後ろにはマスを使い分けて間違うことはない。これは個人個人が誰でも、無意識のうちに動詞と名詞を明確に区別しているからである。しかし、次の例は動詞に「です」と「ます」が使われているようにみえる。
「前払い-です」 「先に払い-ます」
「炭火焼き-です」「炭火で焼き-ます」
「札幌行き-です」「札幌に行き-ます」
これらの「払い 焼き 行き」の、形は動詞連用形である。しかし、意味上の働きは名詞と動詞に分かれる。
「車のハンドルには遊び-が必要だ」 「金-が必要だ」
「一週間に、二日休み-がある」   「暇-がある」
「育ち-がいい」          「品-がいい」
「私の思い-が通じた」       「心-が通じた」
「遊び 休み 育ち 思い」はすぐ後ろに格助詞(名詞や代名詞につく)がくる。「金 暇 品 心」と同じように名詞である。
動詞の場合は「外で遊び-ます」「休み-ます」「育て-ます」のように、すぐ後ろに格助詞はこない。動詞や助動詞がくる。
「二時間待ち・二時間待つ」をみると、「待ち」は名詞で、「待つ」は動詞である。
この連用形は「待つ」という事を表す意味上の名詞である。
動詞連用形の場合にも「です」と「ます」で、名詞と動詞をきちんと使い分けている。このように、動詞連用形は名詞でもある。意味も名詞としての事柄だけを表し、この場合は動詞としての動きや作用の判断を表さない。これを「連用形名詞」と名付けることにする。
形容詞や形容動詞の語幹(活用しない部分)は、名詞である。「赤-い」の赤は名詞である。私達は文法を一人一人頭の中に持っていて、名詞か動詞かを実は自分で区別している。それを本によって学習すると面倒臭くなり嫌いになる。

 連濁において、動詞と名詞の区別は非常に大切である。前にくる言葉が動詞の場合、後ろに来る言葉は連濁をおこさない。「忘れ-去る」「逃げ-切る」「煮え-くり-返る」等がその例である。前にくる言葉が名詞の場合は、連濁をおこす言葉と連濁をおこさない言葉がある。「風-車」「みだれ-髪」は連濁をおこし、「絵-描き」「雨-降り」は連濁をおこさない。連濁をおこす言葉と連濁をおこさない言葉には、いろいろな型がある。
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by iwaoka2 | 2003-01-10 23:33 | 言葉のエッセイ

連濁と日本語-5 日本語と漢語

 「漢語Ⅰ」で、漢語が日本に入ってきたことについて述べた。
多くの漢語が日本語に取り入れられて、和語と漢語の区別が次第になくなっている。
日本人は「気」が漢語だなどとは気にもせずに、日本語を話している。
漢語と和語の違いは何だろう?
漢語は漢字一字にそれぞれ意味があり、発音も違う。
例えば、「かける」という言葉は漢字で書けば
①「掛ける・懸ける・架ける・賭ける」
②「駆ける・駈ける・翔る」
③「欠ける・闕ける」となる。
日本語では「 」で括った言葉の意味は同じである。
①はぴったりとくっついているという意味である。
 漢語では「掛」は高い所に∧型にひっかけること。「懸」は宙づりで、懸垂 懸念 懸命等の二字漢語がある。「架」は上にのせかける・かけわたすという意味で、架設・架空・架橋等がある。「賭」はかけをするで、賭博。
②は移動することを表す。
 「駆」は馬に鞭をあてて走らせるという意味で、「駈」は異体字。二字漢語は駆使 駆除 疾駆等がある。「翔」は羽を大きく広げて飛びまう意味で、二字漢語は飛翔である。
③は足らないことを意味する。
 「欠」は足りない・あくびの意味で、二字漢語は欠乏 欠伸 欠点 欠陥 欠席 欠損等がある。「闕」は中央部をくりぬいて道にした宮殿の門のことで、二字漢語は闕如。
 漢語ではそれぞれ意味の違う言葉も、日本語では区別がないのである。

 漢語は漢字一字の意味が明解で範囲が狭い。二字漢語になってもそれは同じで、意味の範囲は限られている。そのため、漢字は種類が非常に多い。日本ではそれ程多くの漢字を使うのは難しい。そこで漢語を日本語に取り入れる時に、意味を拡大解釈したり派生させたりした。中には本来の意味は使われなくなり、派生した意味が主となったものもある。
「新米」はその年に新しくとれた米のことである。
日本語ではその他に「新しく仲間入りした者」という意味が加わった。
「女郎」は、漢語では男のように才気のある女という意味である。
しかし、日本語では遊女のことである。遊女には才気のある女が多かったからであろうか。
「心中」になると、漢語シンチュウは心のうちという意味である。
日本語ではシンジュウとなり、二人以上の人がいっしょに死ぬという意味になる。「心中お察しいたします」「一家心中」のように、連濁で意味の違いも表している。
「新米の社員」や「吉原の女郎と心中した」などの漢語の意味は、中国では通じない和製の漢語である。
「暴露」は、漢語では「風雨にさらす」であるが、日本語では「隠していたことが現れる」ことである。
 漢語で「無断」は決断心がないことであるが、日本語では「断りなく」という意になる。
「悪運」は本来悪い運命であるが、日本語では悪いことをしても、かえって栄える強運のことと、意味が逆転する。
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by iwaoka2 | 2002-12-12 23:33 | 言葉のエッセイ