カテゴリ:言葉のエッセイ( 61 )

「甘い」と「甘ーい」 

 日本語は形容詞が少ない。また英語のような原級・比較級・最上級などという度合いを表す語の変化もない。最近は「超寒い」「激辛」などと最上級風の表現も現れた。
「甘さ」の程度は、「かすかに甘い」「やや甘い」「とても甘い」「口がひん曲がるほど甘い」などという。英語風に3段階に分けると、「あまい」は普通。その次は「あまーい」。3番目は「あまあま」と工夫した表現がなされていると思う。
「きつーい文句」「熱ーい風呂」「固ーい頭」「静かーな公園」「冷ーいビール」「怖―い話」等比較級クラスかな?
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by iwaoka2 | 2004-10-28 23:25 | 言葉のエッセイ

色が浅黒い

 黄色人種である我々日本人は、肌の色はさほど白くなかった。中には生まれつき色白の人も居たが。「色の白いは七難(さまざまな欠点)隠す」と言われ、美人の条件の一つでもあった。最近は化粧品の飛躍的進歩によって、多くの女性が七難を隠している。
肌の色が白い・黒いの他に浅黒いという表現がある。スポーツ選手や屋外で働く人は日に焼けて、色が黒くなる。生まれつき肌の色が黒い人は「色が浅黒い」といわれる。日焼けした肌の色よりは、黒くないが色白とはいえない肌の黒さである。
「浅い」に対して「深い」がある。色に関しては、「浅い」は色が薄いことを意味し、浅黄色や浅黒いに使われる。「深い」は色が濃いという意味で、深緑に使われる。白や赤には「浅い」「深い」は使わない。
「浅い」「深い」は水深や地底や地形(谷)等、下の方向への距離も表す。又、「深い山」「深い森」は距離が遠いことを表し、「浅い山」「浅い森」とはいわない。
時間の長短に「秋深い」「春浅い」というが、「秋浅い」「春深い」とはいわない。
「経験が深い・浅い」や「草深い」「雪深い」は量の多さを表す。
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by iwaoka2 | 2004-08-31 23:26 | 言葉のエッセイ

故障中

 最近「故障中」の張り紙が、トイレや自動販売機に貼られている。何かちょっとおかしい。
「財布が落ちている」でも述べたように、日本語の動詞には普通の動詞と瞬間動詞と呼ばれる動詞がある。これは時間の長さから、動詞を分けたものである。「食べる」「休む」「流れる」「座る」等の普通の動詞は、時間的に幅がある。これに対して、「落ちる」「撃つ」「知る」「折る」等は、一瞬の出来事を表す動詞である。このような動詞を瞬間動詞という。
「食事」「勉強」「故障」「骨折」は名詞であるが、動詞形は「…する」をつける。
「食事する」「勉強する」は普通の動詞であり、「故障する」「骨折する」「結婚する」「離婚する」は瞬間動詞である。
「食事中に携帯電話で、メールを送る」「勉強中と言って、漫画を読む」のように、普通の動詞の名詞形には「…中」をつけてもおかしくはない。食事や勉強は時間的な幅があるから。しかし、故障や骨折は一瞬の出来事でおしまい。
普通の動詞に「…ている」がつくと、「…中」と同じ意味になる。「勉強している」は「勉強中」「入院している」は「入院中」となる。しかし、瞬間動詞に「…中」をつけるとおかしい。「骨折している」は骨折して、まだ快復していないことを表す。「骨折中」は、骨折の結果が継続していることまでは表わさない。日本語としてはおかしい。和語の「…ている」は漢語の「…中」に比べて、意味の範囲が広い。
「睡眠中」「恋愛中」「休暇中」といえるが、「離婚中」「売り切れ中」「誕生中」「死亡中」はおかしい。「…中」は時間に幅がある意味をもつ名詞に使う。
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by iwaoka2 | 2004-07-31 23:26 | 言葉のエッセイ

財布が落ちている 

M君が質問した。「歩いている」「食べている」はこうですね、と歩いたり食べてみせたりして言った。この「…ている」は英語の「…ing」と同じで、動作が進行中であることを表す。
「財布が落ちている」はテーブルから財布を落として、財布がテーブルから床に到達するその瞬間を落ちているというのかと訊ねた。
「財布が落ちている」「骨が折れている」「障子が破れている」等の「落ちる」「折れる」「破れる」は一瞬の出来事を表す動詞で瞬間動詞といわれる。他の動詞のように、時間の幅がない。従って、進行中の動作や作用は表せない。瞬間動詞に「…ている」がついた場合、その短い瞬間のことをいうのではない。この場合、なにかが起きて、その結果の状態が続いている時に使われる。
「財布が落ちている」は誰かが財布を落として気がつかずに行ってしまった時、財布だけがそこに残っていることをいう。
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by iwaoka2 | 2004-06-06 23:27 | 言葉のエッセイ

第二外国語

 日本に日本語の勉強に来る交換留学生の多くは、アメリカの大学から来る。
交換校の大学では、外国語としての日本語以外の講義は、英語で行われる。そのため、英語圏以外の国から来た学生は、英語力が要求される。彼らにとっては、第一外国語は英語、日本語は第二又は第三外国語となる学生が多い。
 スペイン語・ドイツ語・フランス語等のヨーロッパの言語は英語に近い。単語など発音は違うが、非常に似ている。学生達も英語で話し初めても、夢中になるといつの間にかスペイン語やドイツ語になってしまうこともある。
 しかし、近い言語といっても彼らにとって、英語での講義はかなり労力を必要とするらしい。第二外国語である日本語をマスターするのも、かなりの時間と努力が必要となる。
政治経済等、他の講義のレポートを英語で書くのは簡単ではない。その上日本語の勉強である。どうしても、日本語の勉強がおろそかになる。
そんな学生が、語学スクールで日本語を習うと意外に早く上達する。英語を使う必要がないからである。
英語圏からの交換留学生は、自国語で論文を書くのであるから有利である。その分、日本語の勉強に集中できる。また、第二外国語は必要とされていない。
アジアからの学生は、日本語が上手で、日本人と一緒に普通の大学で勉強する学生も多い。韓国語は日本語に近いし、中国語は同じ漢字圏である。
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by iwaoka2 | 2004-05-15 23:27 | 言葉のエッセイ

桜・桜・桜

 東京では美しい桜が満開となった。開花宣言はソメイヨシノ桜の木が標準となる。しかし、桜にはいろいろな種類がある。山桜・里桜・寒桜・彼岸桜・八重桜等、サクラは連濁をおこして~ザクラとなる。動物や植物や品物の名前は多くの場合、連濁をおこしてその種類であることを表す。
 この連濁は微妙な意味の違いも表す。「彼岸・桜ヒガンザクラ」と「緋・寒・桜ヒカンザクラ」の違いを「ヒガン」と「ヒカン」で区別している。
「緋寒桜」は緋色で寒の頃に咲く桜という意味で、緋も寒も桜の説明である。従って、「寒」が連濁をおこすことはない。緋桜・寒桜といえる。
これに対して、「枝垂れ・桜シダレザクラ」「墨染・桜スミゾメザクラ」は、「タレ」「ソメ」が連濁をおこしている。「枝-垂れ」や「墨-染」のように二つの言葉が結びついた時、連濁をおこすと言葉の結びつきが強くなる。
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by iwaoka2 | 2004-03-30 23:27 | 言葉のエッセイ

粛々と

 学歴問題でお騒がせの国会議員が、進退問題で述べた。「粛々と議員活動を続ける」と。国会議員は漢語がお好きなようである。「今のお気持は?」と聞かれると、一様に「天気晴朗なれど波高しだ」と答える。皆分かったような、分からないような感じであるが、深く追求する気もない。
「粛々と」で一件落着のようであるが、「粛々」とはどういう意味だろうか。漢語本来の意味は「物事を行うとき、慎重に、身をひきしめて行うさま」や「むちの音、鳥の羽ばたきの音、松風の音、耳鳴りの音などを形容することば」(漢字源)とある。
それが日本語となると「つつしむさま」「静かにひっそりしたさま」「おごそかなさま(葬列が粛々と歩む)」(広辞苑)となる。
「粛々と議員活動を続ける」とは、どういうことであろうか?これは議員活動をつつしむので歳費も返上し、学位獲得に努力するという意味であろうか?それが選挙民の望みかどうか、もう一度選挙をやり直した方が、スポーツマンらしいフェアプレイだと思う。
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by iwaoka2 | 2004-02-22 23:28 | 言葉のエッセイ

スペースがある 

 語学の天才M君はいろんな楽しい質問をしてくれる。
ある日、水を飲んだ空のコップをみて、「このコップの中をなんといいますか」と聞いた。「からっぽ」と答えると理解できない様子。「なにもない」というと、英語では「スペースがある」という。スペースは日本語でなんというかと聞いた。これに対する日本語を私は思いつかなかった。日本ではコップに入っていたものがなくなったことに視点があり、英語ではなにかを入れる空間があるというプラス思考。日本では何も無いというマイナス思考かなとも思った。なにか禅問答のような気もして、私が禅に関してもっとよく知っていたら「無」についてプラス思考の説明ができたかもしれない。彼らは「存在」と「不存在」が対立しているが、我々は「無」なのである。「誰も知らない」と「知っている人はいない」「Nobody knows it」の違いである。
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by iwaoka2 | 2003-12-12 23:28 | 言葉のエッセイ

「生暖かい風」と「暖かい風」はどう違うか 

 生は食べ物なら、生野菜・生卵・生米のように調理していないもの。「生魚」「生菓子」「干魚」「干菓子」で分かるように、生には干して(乾いて)いないという意味もある。生ビール・生テープ・生演奏・生放送のように、手を加えたり、編集していないものも表す。「生身namami」や「生首namakubi」「生爪namazume」「生傷namakizu」等、生きている人の身体に関するあまり気持ちのよくない例もある。
「生ki」もナマと同じような意味で、まじりけのないこと、人工を加えていないこと、純粋なことを表す。「生蕎麦」「生醤油」「生糸」等がその例である。
「生nama」は本来の意味の他に、「生煮え」「生乾き」「生かじり」「生殺し」等、中途半端・不十分・未熟という意味や少し・どことなく等という意味もある。
「暖かい」は冷たいに対する、単なる温度の表現である。「暖かい」は「―心」「―家庭」のように、心地よいほのぼのとした気分も表す。冷たいはその逆で、あまり歓迎されない。
「生暖かい」は「暖かい」に対して、期待した温度ではなく気持がよくないという意味になる。「あたたかいスープ」はよいが、「生あたたかいスープ」は中途半端でよくない。
「生ぬるい」という言葉があるが、「生冷たい」という言い方はない。「冷えたビール」「生ぬるいビール」どちらがお好き?
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by iwaoka2 | 2003-11-11 23:29 | 言葉のエッセイ

様 サマ 

 最近何にでも「様」をつける傾向がある。お客様・お得意様は、今までも使われていた。患者様・大家様・お名前様となると、ちょっと首をかしげたくなる。「お客様は神様です」は、なんとなく嬉しい。「患者様は仏様です」となると、ちょっと恐ろしい。医療ミスのおそれあり。
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by iwaoka2 | 2003-10-26 23:29 | 言葉のエッセイ