「日葡辞書」 

 日本に最初に入ってきた外国語は漢語であった。
その頃の日本は、文字がなかったので本もなかった。そこに六世紀半ばに仏教と共に漢字と漢字で書かれた書物が入ってきた。大変なカルチャーショックであったろう。漢字と漢語を懸命に学び、万葉仮名も作り出された。
平安時代初めには、平仮名や片仮名ができた。
現存する我が国最古の漢字辞書は、空海(弘法大師)によって編纂されたと言われる「篆隷万象名義テンレイバンショウメイギ」八三○年(天長七)以後成立がある。
その後、昌住によって編纂された漢和辞典が「新撰字鏡」(898年~901年頃成立)である。
平安末期には、編者未詳の「類聚名義抄」が作られた。
漢和辞典はいろいろ作られた。

その他の言語の辞書は意外にもポルトガル語の辞書が最初である。
日本に最初にやってきた宣教師はスペイン人のフランシスコザビエルである。彼は日本人を「今まで出会った異教徒の中で、もっとも優れた国民」「日本人は外見で人を判断する」等と日本人の観察はすばらしい。
その後やってきたイエズス会のキリスト教宣教師によって、「日葡辞書」が作成された。日葡辞書は、日本語に通じた数名のバテレン(神父)とイルマン(修道士)の協力で作られた。ポルトガル式のローマ字で日本語の見出しをつけ、ポルトガル語で解説した辞典である。総語数は約32000。1603年-1604年にかけて長崎で発行された。室町時代末期~安土・桃山時代の日本語の音韻がよく分かる史料でもある。
ちなみに奈良時代は万葉仮名で書かれた文章は、その漢字の発音を中国の発音と比較すれば分かる。そのことから古い日本語には母音が八つあったことが分かった。
「キフィミケフェメコソトノモヨロ」のi e o には、甲類と乙類の二種類の漢字が書き分けられていた。平安時代にはその区別がなくなった。
万葉仮名では「い・ゐ」「え・ゑ」の区別がきちんと書き分けられていた。いろは歌でも区別がある。
その頃の日本語のハ行音がF音であったことなども分かった。
日葡辞書の頃のハ行音もF音であった。

平安時代には仮名文字がつくられ、文章を書き易くなった。しかし、まだ濁点や半濁点などは出来ていなかった。そのためある単語が清音か濁音か区別がつかない。
日葡辞書はポルトガル式のローマ字で日本語が表記されているので当時の発音が正確に分かる。「カca キqi クcu ケqe コco」「サsa シxi ・・・・」「ハfa ヒfi ・・・」ヤ行やワ行は今とほとんど同じである。濁音や半濁音の表記もある。 
当時の生活習慣や風俗、よく使われた語句等当時の日本がよく分かる。又、当時の標準語である京言葉と九州の方言や東言葉についても説明がある。
日本語の研究者にとって貴重な書である。 
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by iwaoka2 | 2008-08-15 23:53
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