連濁と日本語-2 国語と日本語

 学校の時間割では算数や理科に並んで国語の時間がある。外国語の授業は英語・フランス語・ドイツ語である。日本語という言葉は授業には出てこない。
しかし、留学生の大学の時間割は日本語・日本語と日本語が並んでいる。

 国語と日本語の違いは何か。
人は十二才位迄に身につけた言葉が、母語であるといわれている。国語はその母語が日本語である人の言葉である。日本語は、英語・中国語・スペイン語等世界の言語の中の一つの言葉である。日本語を内側から見るのが国語。外から見るのが日本語である。国語と日本語とでは教える文法も異なる。
国語は日本語がペラペラの人の為の勉強であるから、名詞と動詞の違いなど改めて教える必要はなかった。助詞や助動詞を教えなくても、きちんと使い分けられる。
「れ れ れる れる れれ れよ」等と文法の活用表を丸暗記させられて、「憶えられた」の「憶えられ」は何形か文法に分解せよ等と試験に出た。文法など分からなくても日本語をしゃべるのには困らないので、生徒は国語が嫌いになった。
文章の書き方や話し方を教えながら、よりよい日本語を教える方が役に立つと思う。

 外国語としての日本語を教え初めて、日本語教師は大変な苦労をした。文部省の国文法では教えられないのである。日本人にとって当たり前のことが、外国人にとっては難しい。連濁もその一つである。1577年に来日したポルトガル人宣教師ロドリーゲスが、「日本文典」の中で連濁について述べている。これが日本で最初にとりあげられた例である。しかし、まだ連濁や畳語という言葉もなく、日本人にとっては興味のないことであった。明治以降、少しずつ連濁に目を向ける人も出てきた。しかし、何故連濁がおこるかは、長い間国語学界の謎であった。部分的にはいろいろな説が出てきたが、全面的な解明がなかった。これが、解明できた。その一部が岩波書店の雑誌「文学」7・8月号に掲載されたので、興味のある方はご覧いただきたい。
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by iwaoka2 | 2002-07-27 23:34 | 言葉のエッセイ
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