日本語にはテンスがないとよくいわれる。未来形がないのである。だから英語を訳す時に困る。「行くであろう」などと、苦しい訳をしていた。未来は推量するか願望しかない。「明日行きます」と現在形が未来を兼ねる。
それに対して過去形はある。この過去形が過去を表すだけでなく、完了も表す。 「宿題をした」「雨が止んだ」「ご飯を食べた」等は完了の意味が強い。 古い日本語には「き けり つ ぬ たり」等の助動詞が使い分けられていた。「き けり」は過去を表し、「つ ぬ たり」は完了や存続を表した。 これが現代語では「た」のみとなった。従って「見た 来た 行った」は過去だけでなく、完了や存続も表す。 このように、日本語は言葉を過去・現在・未来というとらえ方よりは、完了したか未完了かというとらえ方の方が強い。現在と過去は現実の事柄である。未来は分からないし、未確認である。複合語においても特殊な接続をして、完了に関する意味を表す言葉がある。 それは前回述べた、従来連体形接続といわれた言葉である。 動詞や形容詞は名詞や他の動詞などと結びつく場合、連用形の形で結びつく。 「書き-言葉 嬉し-涙 聞き-飽きる 当り-年」等がその例である。 「行く年 来る年」のような従来,連体形接続といわれた特殊な接続がある。数は少ないが何故あるのだろうか。これは連用形接続の言葉と意味が異なる。「言った」「言わない」の議論の項でも触れたが、終止形の形で未完了や未確認を表す。「行く年 来る年」の場合、今年はまだ行ってしまってないし、来年はまだ来ていない。微妙なテンスの現れである。 連用形接続は多く使われる形で、助動詞によって現在か過去かが決まる。そして、連濁をおこす言葉と連濁をおこさない言葉がある。「行く年 来る年」のような特殊接続の言葉は、連濁をおこさない。
by iwaoka2
| 2003-03-10 23:32
| 言葉のエッセイ
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外国人の話す愉快な日本語から、我々日本人がこれまで気がつかなかった日本語の特徴が分かることもあります。国語学界の謎といわれた「連濁の法則」も、ほぼ解明できました。
言葉は時代とともに、変化します。日本人の日本語も?が多くなりました。 カテゴリ
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