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連濁と日本語-8 日本語のテンス 

 日本語にはテンスがないとよくいわれる。未来形がないのである。だから英語を訳す時に困る。「行くであろう」などと、苦しい訳をしていた。未来は推量するか願望しかない。「明日行きます」と現在形が未来を兼ねる。
それに対して過去形はある。この過去形が過去を表すだけでなく、完了も表す。
「宿題をした」「雨が止んだ」「ご飯を食べた」等は完了の意味が強い。
古い日本語には「き けり つ ぬ たり」等の助動詞が使い分けられていた。「き けり」は過去を表し、「つ ぬ たり」は完了や存続を表した。
これが現代語では「た」のみとなった。従って「見た 来た 行った」は過去だけでなく、完了や存続も表す。
このように、日本語は言葉を過去・現在・未来というとらえ方よりは、完了したか未完了かというとらえ方の方が強い。現在と過去は現実の事柄である。未来は分からないし、未確認である。複合語においても特殊な接続をして、完了に関する意味を表す言葉がある。
それは前回述べた、従来連体形接続といわれた言葉である。
動詞や形容詞は名詞や他の動詞などと結びつく場合、連用形の形で結びつく。
「書き-言葉 嬉し-涙 聞き-飽きる 当り-年」等がその例である。
「行く年 来る年」のような従来,連体形接続といわれた特殊な接続がある。数は少ないが何故あるのだろうか。これは連用形接続の言葉と意味が異なる。「言った」「言わない」の議論の項でも触れたが、終止形の形で未完了や未確認を表す。「行く年 来る年」の場合、今年はまだ行ってしまってないし、来年はまだ来ていない。微妙なテンスの現れである。
連用形接続は多く使われる形で、助動詞によって現在か過去かが決まる。そして、連濁をおこす言葉と連濁をおこさない言葉がある。「行く年 来る年」のような特殊接続の言葉は、連濁をおこさない。
by iwaoka2 | 2003-03-10 23:32 | 言葉のエッセイ
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