日本語の複数形は、英語のように名詞の語尾変化で表すということはない。
「人」「花」と言葉を二つ重ねない場合は、単数を表す場合が多い。 「人々」「花々」となると、複数の人や花を表す。しかし、単数と複数の区別が厳密ではない。「花が咲いている」の場合、一つでも二つでも沢山でもよい。 英語のように語尾に「S」をつけて複数を表すということはない。 日本語は「多くの~」「少しの~」の様に言葉の前に追加して、量の多少を表す。けれども、花が一つか二つかは問題ではない。 「花々」の場合も、二種類以上の花を指しているのであって、花の数をいっているのではない。「桜の花々が咲いている」とは言わない。梅や桜は一本の木に数えられないほど、多くの花をつける。しかし、桜の花である。 英語では必ず「Cherry blossoms」と複数の「s」をつける。 「花々」は「百合と桔梗と朝顔」のように、異なる種類の花の場合に用いる。 キリスト教やイスラム教の神は一つである。大和には「八百万ヤオヨロズの神」がある。これは神様の数を数えたわけではない。八百も万も「多くの」という意味で、数にこだわりはない。古くは八や九や十でも「多くの」という意味があった。 「達」や「ら」は「子供達タチ 子供ら」「学生達タチ 学生ら」と複数を表す言葉である。しかし「友達ダチ」は一人でも二人以上でもよい。 「友たち」となれば、複数のみをあらわす。友達のみダチと連濁をおこしているのは、複数を表すタチと意味の違いを表している。 「達」は古くは、主として神または貴人(公達キンダチ)だけに用いられる敬意の程度が高い言葉であった。それが時代が下るにつれて複数の形で軽い敬意を表すようになり、今では敬意はなくなった。古くは敬語であった「貴様」や「お前」のように、敬意の度合は時代と共に下っていく。
by iwaoka2
| 2007-07-07 10:01
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外国人の話す愉快な日本語から、我々日本人がこれまで気がつかなかった日本語の特徴が分かることもあります。国語学界の謎といわれた「連濁の法則」も、ほぼ解明できました。
言葉は時代とともに、変化します。日本人の日本語も?が多くなりました。 カテゴリ
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