梅の便りがあちこちから聞かれる。
水戸の偕楽園は梅の名所である。一八四二年(天保一三)藩主徳川斉昭が造園した日本三名園の一つである。 偕楽とは広辞苑によると、[孟子梁恵王上] 衆人と共に楽しむこと。 水道橋にある後楽園も水戸藩の上屋敷内の庭園である。 後楽とは [范仲淹、岳陽楼記「後天下之楽而楽」] 人々の楽しみにおくれて楽しむこと。 昔の人の教養は漢籍に通じていることであった。 水戸の藩主は漢籍から学んだことを実践して、庭の美しさを民と共に楽しむために「偕楽園」と名づけた。 「後楽園」は、上に立つ者は民が楽しんだ後に楽しむためにと名づけられた。 岡山市にある後楽園も藩主池田綱政の創設で、日本三名園の一つである。 今アフリカや中東諸国で、長年続いた民を苦しめている独裁政治に反対して、命がけのデモが起こっている。 江戸時代の水戸藩主の考え方はすばらしかった。 #
by iwaoka2
| 2011-03-01 21:49
今年はうさぎ年 正確には「辛卯 カノトウ」。
陰陽道は、安倍 清明で有名になった。しかし、よく分からない。 中国からきた思想・学問である。日本に定着して独自に発展した。 八世紀に律令制の完成とともに、天文観測 天変地異 暦の制作 御忌の調査 陰陽の占い全般 等を専門とした。 宮中の諸儀式・諸行事の日時の選定など多方面の事柄の決定に関わった。 「日(陽)月(陰)と木・火・土・金・水(森羅万象の象徴)」五行説によって構成される世界観・宇宙観を表わす学問。 干支エトは十干十二支の総称である。 十干は「甲キノエ 乙キノト 丙ヒノエ 丁ヒノト 戊ツチノエ 己ツチノト 庚カノエ 辛カノト 壬ミズノエ 癸ミズノト」 十二支は「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」 この十干と十二支の組合せで年回りが決まる。来年は壬辰ミズノエタツとなる。 「壬申の乱」や「戊辰戦争」のように称された。 甲子から始まって乙丑キノトウシと組合せ、癸亥ミズノトイで干支は一回りの還暦である。 十二支は方位や時間にも用いられている。子午線は北と南を表わしている。 鬼門は丑寅で東北を表わす。 暦の制作からいろいろな行事や冠婚葬祭の日取りが決められた。 吉凶を前もって予知し、占いや厄払いも行なった。 陽と陰で、食文化も確立した。 陰の身体を冷やす食材と調理法。 陽の身体を温める食材と調理法。 一度の食事で、この陽と陰のバランスを上手くとることが大切。 バランスは朱・青・黄・白・黒色の食材を取り入れる。 お節料理や懐石料理などがその例である。 このように陰陽道は、我々の生活の隅々まで入り込んで、生活の規範となっていた。 参考文献 日本古文書学講座 3 雄山閣出版 天文方と陰陽道 林 淳著 山川出版社 陰陽道とは何か 戸屋 学著 PHP新書 #
by iwaoka2
| 2011-01-07 00:53
私が学習院大学国文科に入ったのは昭和33年。「天城山心中事件」直後の国文科であった。研究室はなんとなく緊張感があったが新入生はあまり出入りしなかった。
当時の学習院大学の教師陣は、安倍能成院長のお人柄からか素晴らしい先生方が多かった。世間では教授一流・校舎二流・学生三流といわれていたとか。 学生時代の私は学問より楽しいことが多くあり、あまり勉強はしなかったので家族からは猫に小判と言われていた。一生で一番楽しい時期であった。 大野先生の授業はとても明快で、まだ分からないことははっきり分からないとおっしゃって我々に問題を投げかけてくださった。 他の学年は大野先生が怖いという学年もあったようである。われわれの学年は大野ファンが多かった。後に、クラス会などには先生もよくご出席くださった。 その頃は「大野ススメ」ではなく「ボヤキの大野」と教え子達は言っていた。 そんなボヤキをなさった先生に「先生はちょっと時代の先を行ってらっしゃいます。二・三十年後にはきっと認められます」と申し上げたことがある。 なぜそんなことを申し上げたかというと 昭和三十年代は、まだ大学進学率もあまり高くなかった。特に女子の進学率は全国的に低く、少ない女子が文学部に集中した。入学試験では女子学生の方が成績がよかったのである。 慶応大学の池田弥三郎が述べた「女子大学生亡国論(大学の文学部に女子学生が多くなり日本の学問の府に危機感を抱いた)」に対して、大野晋は反論した。 「女子学生も男子学生と同じように学問でよい成績をあげているし、将来母親になった時に子供によい影響を与えられる(筆者の記憶)」 このように大野先生はいつも時代より先の方を見ていらっしゃるのである。 広辞苑が出来て世の中の評価がとても高いのは大野先生の功績であった。 岩波書店には、いまだに「大野原稿」と称して先生の広辞苑の原稿が大切に保管されているとおっしゃったことがあった。 「日本語練習帳」出版直前、奥様のお話では「あんなことを書いて大丈夫かな?どうしよう。どうしよう」とおっしゃって、部屋の中を動物園の檻の中の熊のようにウロウロなさったとか。 大野先生はユーモアもとてもお好きである。 「き・けり・つ・ぬ・たり」は「煙たし」で、私には難しいと申し上げた。先生はー漱石はね教室で、生徒が手を着物の袖から出していないので、「失礼じゃないか!」と言ったら生徒は「手がないのです」と答えた。「僕だってない知恵を絞って出しているのだから君もない手を出し給え」と言ったーとおっしゃった。 先生の終の棲家は、漱石の眠る雑司が谷墓地の隣であった。 #
by iwaoka2
| 2010-03-25 00:18
丁寧語は長―くなる傾向があるが、日常よく使われる言葉は短くなる傾向がある。特に若者の言葉は宇宙人の言葉のようである。
日経新聞の「春秋」には、 「ヤスる」人数が多すぎるとき何人かヤスリで削るように外すこと。 「嫌いで外すわけではない」との補足がつく。 「セパる」切羽詰るの省略。 「ぺしゃむ」ぺしゃんこにへこむ から。 もう少し上の年齢層は 「アラサー」around thirty 「アラフォー」around forty これに因んで竹中平蔵氏は「アラかん(還暦世代)」を流行らせたいとか。 各世代、夫々に短く・分かりやすい言葉を作って通じやすく連帯感を生み出しているのだろう。 #
by iwaoka2
| 2008-12-20 20:50
最近テレビを見ていると男性も女性も丁寧すぎる言葉を無理に使っている感じがする。
「いただく」は「食べる」「飲む」「もらう」の謙譲語である。 「松茸をいただきました」は、他人から松茸をもらったのか、単に食べたのか区別がつかない。「松茸を食べました」か「○○さんから松茸をいただきました」の方が分かりやすい。 「ビールをいただいてから、寿司をいただいた」 「バナナをいただくと痩せる」 これらは、「ビールを飲んでから、寿司を食べた」「バナナを食べると痩せる」 の方が分かりやすい。 「お茶をどうぞいただいてください」や「お菓子をどうぞいただかれてください」 はおかしい。謙譲語は自分の行為に使うもので他人には使わない。 「お茶をどうぞ召し上がってください」「お菓子をどうぞ」がよい。 「食べる」「飲む」は、日常よく使われる言葉である。「いただく」ばかりになると意味がはっきりしなくなる。 補助動詞といわれる「~ていただく」も最近使われすぎの感がある。 「飲み会に行かせていただきました」 「返事を書かせていただきました」 「展覧会に行かせていただきました」 丁寧すぎる表現は長くなってよくないと思う。 #
by iwaoka2
| 2008-11-15 23:43
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外国人の話す愉快な日本語から、我々日本人がこれまで気がつかなかった日本語の特徴が分かることもあります。国語学界の謎といわれた「連濁の法則」も、ほぼ解明できました。
言葉は時代とともに、変化します。日本人の日本語も?が多くなりました。 カテゴリ
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